日本が誇る世界的特殊作家、三浦俊彦さんの連載小説『偏態パズル』(第54回)をアップしましたぁ。今回の冒頭の記述は凄いです。不肖・石川、「印南哲治は初期のシンクロ脱糞パフォーマンスを諸々実行した。そこに至る細かい手順、配慮、計算、駆け引き、手直し、杞憂、誤解、申し開き、見直し、慰撫、照合、一夜漬け、・・・説得の前の誘惑、面罵、妥協、密約、空元気、等々内部分裂擬似統合再分裂気味にもつれまくった経緯は省略しよう」といふ、800字も続く記述にまぢ狂喜しました(爆)。三浦センセはやっぱスゴイですぅ。文学は言葉なのであり、かふいふエクリチュールを生み出せるどーかが作家の実力といふものです。
んで三浦センセが書いておられる『あなたのその黄金こそわれらが芸術!』ってビラ、内容は違いますが、不肖・石川もずいぶん前に見たことがあるなぁ。確か東京・渋谷で手渡しで配られていたビラで、知り合いの女の子から「こんなのもらった」と言って見せてもらひました。む~ありはおろち学会の活動の一環だったのかぁ。おろち学会、恐るべしでありまふ。コードウェイナー・スミスの人類補完機構のやうに、おろち学会はずーっと昔から存在していて、世界を正しい方向に導くために活動していたのですなぁ。ま、この場合の正しさって、かなり相対的といふか、超倫理的なものでござんすけど(爆)。
ちょいと唐突ですが、不肖・石川は文学には政治的思想は必要なひと考えているタイプの編集者です。まーはっきり言うと、若い頃から文学などといふ浮世離れした表現に取り憑かれている作家は、知的なやうでいて、その実もんのすごく幼い面を持ってるんですね。そりが50歳くらいの中年といふか分別盛りになると、突然、日本の未来がどーのとか、天下国家を論じ始めたりすることありまふ。50近くになって初めて『東洋経済』なんかを読んで、世の中の仕組みがわかった!と考えちゃうやうな作家が現実問題かなりの数おりまふ。
そーいふ文学者特有の幼い社会性に対して不肖・石川は冷たいわけですが、文学者が肉体的確信として持っている思想は素晴らしいと思います。そういった肉体的思想が政治・経済と結びついていてもOKです。またその場合、文学者であれば右翼でも左翼でも問題ない。要は文学は作品で、言葉で何を表現したいのか、作家の確信=核心とは何かが問われる芸術です。思想がないという思想もアリです。しかしその場合でも確信=核心が絶対に必要です。三浦センセ、間違いなく確信・核心的作家でありますぅ。
■ 三浦俊彦 連載小説 『偏態パズル』(第54回) pdf版 ■
■ 三浦俊彦 連載小説 『偏態パズル』(第54回) テキスト版 ■