金井純さんの『親御さんのための読書講座』『No.037 ショートショートの広場 阿刀田高編』をアップしましたぁ。講談社から発行されている企画本で、ショートショート小説の神様・星新一さんセレクトの作品を単行本化したのが始まりです。現在は『小説現代』誌で公募した作品が阿刀田高さん選で単行本化されています。プチ・トリビアですが、星新一さんは森鷗外の妹・小金井喜美子さんのお孫さんです。星製薬の御曹司でもあります。
金井さんは、『編者の阿刀田高は、ショートショートも文学である、といったことを述べているが、これを読むと、まあ、それは文学の定義によるだろう。・・・巻末の「選評」を読むとしかし、やはりそれは「文学」よりはNHKの「ケータイ大喜利」に近いように思われる。「ケータイ大喜利」では・・・「審査員長」が、「二本」とか「三本」とか札を挙げて判定するわけだが、本書の阿刀田高による「○○○がもっとあればよかった。××点。」という選評も、それと変わらない』と厳しいことを書いておられますが、不肖・石川も同感だなぁ。
文学の世界に限りませんが、未来文化の基礎となるのは、ある時代固有の精神を的確に捉えた(形にした)新しい試みだけです。ショートショート小説は星新一さんが生み出し完成させたジャンルであり、星さんのレベルを超えるのはまず不可能です。創立者には可変的で可能性に富んだ基盤を、既成の権威として疑いもなく引き継ごうとする時に文化の堕落は起こる。それはビジネスとしては成立可能であっても、もはや可能性を失ったジャンルに過ぎなくなってしまうわけです。
金井さんは、ショートショート小説が『ジャンルの名に値するものなら、やがては必ず抜け出る者、システムを揺るがす者、それに沿わない者が現れる。そのとき、それをどう扱うか。自ら「文学」だとする定義が果たして正しいかどうかは、そのときの制度の態度いかんだろう』と書いておられますが、正論だと思います。
あるジャンルの本質を理解する作家は、そのジャンルの死んでしまった部分を切り捨てて、新しい表現を生み出すことが多い。それを見落とすようなら、ショートショート小説の投稿システムは、当選者と投稿者の購買を期待する出版ビジネスに過ぎなくなってしまふでせうね。
■ 金井純 『親御さんのための読書講座』『No.037 ショートショートの広場 阿刀田高編』 ■