岡野隆さんの俳句評論『唐門会所蔵作品』『No.020 自筆原稿『空なる芭蕉(一)』』をアップしましたぁ。安井さんは句集『空なる芭蕉』を刊行しておられますが、自筆原稿『空なる芭蕉(一)』は一つ前の句集『山毛欅林と創造』の草稿原稿です。岡野さんは『句集をまとめる段階になって、安井氏が想定した至高の高み・・・には到達できないと直観したのではなかろうか。そのため自筆原稿『空なる芭蕉』は句集『山毛欅林と創造』草稿として解体されることになった。つまり句集『山毛欅林と創造』は、『空なる芭蕉』に至るための地ならし的作品だと思われる』と書いておられます。
『山毛欅林と創造』はとても特徴的な句集タイトルですが、句集には『山毛欅林』を詠んだ句がほとんどありません。しかし一つ前の句集『句篇』には『山毛欅林』と『創造』を詠んだ連作五句があります。岡野さんの連作五句の読解はスリリングです。『山毛欅林の中で〝私〟と〝創造〟が一体化して「創造神」になるが、山毛欅林を出るとその融合が霧散してしまうことを示唆している。・・・句集『山毛欅林と創造』は、私と創造の一体化の秘儀を確実なものとするために作られたと言えるだろう』と批評しておられます。
岡野さんのコンテンツは、安井作品が〝文学〟として読解できることを明確に示しています。ほとんどの俳人は年をとるにつれ〝俳句形式〟に飲みこまれてゆきます。一定期間内に詠まれた作品をセレクトし、適当なタイトルを付けて句集を出すようになるわけです。しかし安井文学では句集一冊ごとにテーマがある。そのような明瞭な輪廓を持つ句集を刊行し続けた作家は、前衛俳句作家の中ですらほんの一握りです。
なお今回で岡野さんの『唐門会所蔵作品』連載は終了です。岡野さんは『大量の貴重な資料を長期間お貸し下さった唐門会の酒卷英一郎氏、自筆草稿の検討・掲載を快く許可してくださった安井浩司氏に心から感謝申しあげます』と書いておられますが、不肖・石川からも厚く御礼申しあげます。
■ 岡野隆 俳句評論 『唐門会所蔵作品』『No.020 自筆原稿『空なる芭蕉(一)』』 ■