山際恭子さんのTVドラマ批評『No.059 聖女』をアップしましたぁ。NHKさんで火曜日夜10時から放送されているドラマ10です。主演は広末涼子さんで、彼女の弁護士を永山絢斗さんが演じておられます。山際さんのレジュメを引用すると、『偽の有名女子大院生として家庭教師にやってきた女性と、弁護士になった教え子が10年後に再会。女性は保険金殺人の容疑者となっていた、というドラマ』です。全7話でもうすぐ5話が放送されますから、いよいよクライマックスですね。
山際さんは『聖女か悪女かという、このようなドラマで難しいのは、落としどころだ。・・・結局のところ、生きているヒロインに対しても、生死を突きつける以外には、なかなか落とせないだろう。それが聖か悪かという二項対立をアウフヘーベンする唯一の道筋だからだ。しかしこのドラマでは「保険金殺人に関してシロかクロか」という現実的な二項対立もあり、これについてはアウフヘーベンといった観念的な処理では消化不良となる』と書いておられます。そうなんですよね。人気女優さんを悪女に起用して、保険金殺人の容疑者とすると、ツカミはOKですがどう落とすのか問題になる。
また『もうひとつ難しいのは、この青年弁護士が元家庭教師に入れ上げる様子を、別の危うさとして見せていることだ。・・・凡庸な看護師の婚約者のもとに収まるのは、ヒロインのファム・ファタルとしての魅力を自己否定することになる』と山際さんは批評しておられます。む~そのとおりだな。原作者の大森美香さんは、けっこう高いハードルを設定しておられると思います。
最近のいわゆる大衆小説は、非常にツカミと事件展開がスムーズで上手くなっています。芥川賞系の純文学作家の大半は、相変わらず絶望的にプロットを立てるのが下手ですが、大衆小説(直木賞)系作家のプロット立案能力は素晴らしく上がっています。ただ問題は落としどころ。
小説って読むのに時間がかかるし、読者はたいてい善人ですから、多少の不満があっても『まあまあ面白かった』と言って本を閉じてくれます(爆)。しかし落としどころが弱い作品を、読者は一瞬で忘れてしまう。売れたとしてもすぐ忘れ去られるヒット作と、松本清張作品のようにいつまでも読まれる傑作・秀作の違いは紙一重です。大きなポイントはやはり落としどころです。プロット立案技術は学習できますが、作品の落としどころでは作家の本当の思想と時代認識能力が試される。これだけは誰も教えてくれないわけですぅ。