聖女
NHK
火曜22:00~
偽の有名女子大院生として家庭教師にやってきた女性と、弁護士になった教え子が10年後に再会。女性は保険金殺人の容疑者となっていた、というドラマである。注目されるのは、容疑者の肘井基子役に広末涼子、というところだ。確かに、はまり役ではある。
はまっているのは、この女が聖女か悪女か、という謎がテーマだからだ。広末涼子が謎めいているかと言うと、別にそんなことはないが、ちょっと危うい感じが人物像を揺らしているところがいい。つまり本人はともかく、周りの評価が揺れているわけで、こういう女優さんは目が離せない。つまり使えるということだ。ちょっと気がヘンみたいな女優は面白いが、それがちょっとじゃなくなってくると怖くて使えない。結婚してしまうと、たいてい落ち着いてしまい、それもつまらなくなる。その点、広末涼子は結婚してもずっと危なっかしさをキープしていて、得がたい。
で、この教え子の青年弁護士は、ウソで固められたかつての家庭教師を弁護するわけだが、当然のことながら彼女は彼の最初の女性でもあるので、ビジネスライクにはできない。ただまあ、そうだからといって、たとえば被疑者と検察官とか、被疑者と取り調べの刑事みたいに問題になるわけではない。あくまで任意の依頼人。
広末涼子は、ドラマの中でさんざん言われるような、すごい美人というのとは違うと思うけどけれど、そこにまたリアリティがあるかも。世の中でシロートがすごい美人とか喧伝される場合って、このぐらいかも。
聖女か悪女かという、このようなドラマで難しいのは、落としどころだ。同じテーマで有名なのは有吉佐和子の『悪女について』だが、これの巧いのは、すでにヒロインが死んでいる、というところだった。聖も悪も、生き残った者たちの思惑や印象でしかない。
結局のところ、生きているヒロインに対しても、生死を突きつける以外には、なかなか落とせないだろう。それが聖か悪かという二項対立をアウフヘーベンする唯一の道筋だからだ。しかしこのドラマでは「保険金殺人に関してシロかクロか」という現実的な二項対立もあり、これについてはアウフヘーベンといった観念的な処理では消化不良となる。とはいえシロでもクロでも、どこか納得できないものが残りそうだ。そのどちらかでよいなら、最初から問題などない、と感じるだろう。難しいものだ。
もうひとつ難しいのは、この青年弁護士が元家庭教師に入れ上げる様子を、別の危うさとして見せていることだ。それはドラマの過程としては緊張感を増すものだが、これもどこへ落とせばいいのか。凡庸な看護師の婚約者のもとに収まるのは、ヒロインのファム・ファタルとしての魅力を自己否定することになる。まあ、一緒に死ぬのがフランス映画ふうには正解なのだが、日本のテレビドラマ的にはどうなるものか。
かつて「緒沢まりあ」と名乗っていた聖女の雰囲気漂う女家庭教師は、「肘井基子」という名の被疑者となって戻ってくる。この「基子」は言うまでもなく、かつての美人犯罪者の「伊藤素子」を連想させる。美化された象徴的な細かなしつらえで、哀れを誘い、楽しめる仕上がりにはなっている。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■