Interview of gold fishes 第12回『山田太一 戦後を貫く脚本家の視線(前編)』をアップしましたぁ。『岸辺のアルバム』、『ふぞろいの林檎たち』、『異人たちの夏』などでおなじみの日本を代表する脚本家、山田太一さんのインタビューです。不肖・石川は、編集者特権で前・後編通して読みましたが、やっぱ一流の作家はいいなぁと素直に思いました。平明な語り口なのですが、山田さんの言葉には思想の肉体性が感じ取れます。第一線で長く仕事をし続けるためには、山田さんのような強い信念や思想が必要だと思います。
インタビューでは、前半で寺山修司さんのお話が出てきます。山田さんと寺山さんが早稲田大学時代に親友だったことは有名です。山田さんの、『はっきり言うと、寺山はお母さんがいなければどんなにいいだろうと思っていた。でも実際にはお母さんの方が長生きしちゃったわけです。これは悲しいことだけど、お母さんの存在が寺山の創作力の原点になっていたのも確かだと思います。彼は芝居で心ゆくまで母親を殺していますが、最後までお母さんを呪うというテーマを手放せなかった。それはお母さんが、根源的なところから彼を揺さぶって創作に導く存在だったからだと思います。それ以外のテーマには、そこまでの深みはなかったんじゃないでしょうか』という言葉は、寺山文学の本質を衝いていると思います。
様々な文学者が寺山論を書いていますが、寺山がお母さんといっしょにいるところを長時間に渡って目撃した文学者は山田さんだけです。また山田さんは、言うまでもなく高い知性と鋭い感性をお持ちです。山田さんの寺山理解はテキストだけでなく、寺山の実存に根ざしている親友ならではのものだと思います。なおインタビュー中に出てくる、寺山さんが高校時代から早稲田大学時代に刊行していた俳句同人誌「牧羊神」については、鶴山裕司さんが『安井浩司参加初期同人誌を読む No.001~No.007』で書いておられます。ご興味のある方はお読みください。
インタビューの後半は、山田さんの松竹時代についてです。山田さんは木下恵介監督の元で助監督を務めましたが、木下監督作品について的確な批評をなさっています。また映画脚本からテレビの脚本を手がけるようになった際に、『テレビドラマでは観念的な脚本で、見た人がなんだかわからないようではいくらその観念が高度でもダメだと思いました。・・・観念とか思想が日常の中で試されなければダメという考え方がテレビの脚本を書くための武器になるんじゃないかと思ったんですね』と語っておられます。示唆に富む言葉だと思います。じっくりお読みになってお楽しみください。
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