田山了一さんのTVドラマ批評『No.052 家族狩り』をアップしましたぁ。原作・天童荒太さん、脚本・大石静さんといふ売れっ子作家・脚本家がタッグを組んだTBSさんのドラマです。松雪泰子、伊藤淳史さんらが出演されています。田山さんは『「怖い」あるいは「怖がらせる」ということについて、画面を観ながらぼんやり考えてしまった。ぼんやり考えるということは、集中できなかった、ということになるのだろうが、ようはなぜ集中できないのか、ということでもある』と書いておられます。不肖・石川もほぼ同感だなぁ。
天童さんの作品全般に言えることなのですが、サスペンスなのかホラーなのか分類しにくいところがあります。サスペンスなら強い緊張感が全篇にわたって持続され、あるカタルシスが訪れる。ホラーであれば、幽霊なんかが登場するかどうかは別として、人の不意を衝く怪異が最初の方から顔を覗かせる。でも天童作品の場合、サスペンスとホラー要素を取り入れたミステリーなんですね。欲張りといえば欲張りですし、非常に高い小説テクニックだといえばそう言える。ただどっちに転ぶのかわからないので、テレビの連続ドラマにすると曖昧な絵(印象)になってしまふ。
それを田山さんは『画面はわりとおどろおどろしくて、ホラーっぽい。確かに家族性というものは、多少なりともおどろおどろしいところがあるかもしれない。・・・心理的にはスプラッタに近いミステリーとして表現される。・・・だから頑張って観ようと思う。しかし、どこか集中できない。もしかすると良い点、素晴らしい見どころがありすぎるのかもしれない』と批評されています。田山さんはまた、『テレビを観るときの集中とは、ほんとのところ集中ではない。そういう集中は仕事や勉強や趣味、あるいはデートや社交で使い果たして、残った気力で眺めるのがテレビだ』と書いておられますが、映画のように集中して見るメディアではないテレビドラマなので、印象が拡散しがちなのかもしれません。
いわゆる大衆小説の世界では、物語のプロットの構成能力は一昔前に比べて格段に上がっています。ホラーやサスペンス要素を、これでもかというくらいに盛り込むようになっています。〝物語の力〟、つまり読者に次のページをめくらせる力は十分なわけです。ただその分だけ、落としどころが弱くなっている傾向があります。読者をハラハラドキドキさせ、怖がらせて、では作家は作品で何を表現したかったのか、いまひとつわからないことが多い。だから読み終わってしばらく経つと、『あれ、なんの話だっけ』と思ってしまう。テレビ版の『家族狩り』はそろそろ終盤です。落としどころに注目でありますぅ。