家族狩り
TBS
金曜 22:00~
「怖い」あるいは「怖がらせる」ということについて、画面を観ながらぼんやり考えてしまった。ぼんやり考えるということは、集中できなかった、ということになるのだろうが、ようはなぜ集中できないのか、ということでもある。
ミステリーやサスペンスをホラーと一緒にしてしまう人が、ときどきいる。たいていはそのどれも好きではない、と言う人だ。つまりそれは、そのどれを観ても怖くなってしまう、そして怖がらせられるのが嫌いだ、ということになる。
しかし、これらのジャンルはどれもその目的というか、狙いが異なる。そしていずれも人を怖がらせるほどのものができれば、大成功と言うべきだろう。そして、怖いコンテンツへの需要は必ずある。でなければ興隆すまい。怖がらせるのはサービスなのである。そして、どういうタイプの恐怖であるかによって、そのジャンルと作品のレベルが決まってくる、ということになる。たとえば、ホラーの一種にスプラッタというのもあるが、これは恐怖の種類としては、ホラーの下位に属する。
怖がらせるサービスを受けようとする場合、受容する側に準備があった方がよい。サプライズと恐怖というのは、必ずしも相性がよくない。ただ、恐怖の緊張感が高まれば、ものに驚きやすくなるということだ。前もって脅されて、今来るか、今来るかという状態が恐怖を高め、話を引っ張ってゆくものだ。恐怖とは嫌悪され、期待されるものなのである。その恐怖を感じるポイントが、人それぞれで多少違う、ということはある。
「家族狩り」については、しっかりした原作のあるミステリーと思しきものだが、画面はわりとおどろおどろしくて、ホラーっぽい。確かに家族性というものは、多少なりともおどろおどろしいところがあるかもしれない。家族というものに期待される、やや押し付けがましい温かさが、温度の高い、すなわち心理的にはスプラッタに近いミステリーとして表現される。わからないことはないし、力作感も思い切り滲んでいる。
だから頑張って観ようと思う。しかし、どこか集中できない。もしかすると良い点、素晴らしい見どころがありすぎるのかもしれない。映画館なら、あるいはDVDなどで意志的に観るのと、テレビをたまたま(でなくても)視聴するのとは、スタンスというか、心構えが違う気がする。
テレビを観るときの集中とは、ほんとのところ集中ではない。そういう集中は仕事や勉強や趣味、あるいはデートや社交で使い果たして、残った気力で眺めるのがテレビだ。子供はときに全力でテレビを観るが、「家族狩り」は観ないだろう。
ミステリーなら「温泉グルメ殺人事件」とか「◯◯デカ事件帳」的パターンにはまるか、あるいは知的で極上質なコロンボ的なものであれば、視聴者は心的負担なく見始めて、やがて引き込まれていくだろう。ホラーだったら心の準備をさせるのに、テレビ的なひと工夫というものがあるのではないか。その工夫は、映画的な文芸作品からすれば、つまらないものかもしれないが。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■