北村匡平さんの映画批評『創造的映画のポイエティーク』『No.005 視覚的モダニティの失効と〈逃避〉の映画学―スタンリー・キューブリック『シャイニング』』をアップしましたぁ。キューブリック監督の大ヒットホラー・サスペンス映画です。原作はステーヴィン・キングで主演はジャック・ニコルソンですが、奥さん役のシェリー・デュバルさんがこれぞホラー女優といふ感じの容姿と雰囲気で、不肖・石川は怖かったのを覚えております。双子の女の子の幽霊も怖かったなぁ。でもとっても魅力的で、石川はだいぶ前に、部屋の壁にダイアン・アーバスの双子の女の子の写真のポスターを貼っていたことがありまふ(笑)。
有名な映画なので批評のハードルは高くなりますが、北村さんは、『僕は・・・ある一つの物語構成の解釈に拠りつつ、社会の中に本作を置き、この映画が生みだされた〈意味〉を読み込みながら、もう一つの『シャイニング』を〈製作〉したいと思う。〈製作〉(ポイエティーク)とは、細部まで行き渡ったキューブリックの意識を引き受けつつも、生産者の意図とは違う次元に潜む何かを発見し、作品を領有しながら新しい映画を作り上げる消費者の技芸に他ならない』と書いておられます。実際、スリリングな読解になっています。
北村さんの映画批評は丹念な映像分析に基づいていますが、『シャイニング』を主に二つのポイントから読解されています。一つは「分裂」のイメージです。作品中では鏡像が多用され、同じ場面を主人公とその妻が別々に見るシーンなどがあります。それを北村さんは、『主人公たちを鏡によって2つに分裂させたり、〈2〉という記号を強調したりすることは、物語自体の2つの分裂と形態的に共鳴しているのではないだろうか』と読解しておられます。
もう一つは特権的位置から世界全体を見通そうとする視線と、その限界のイメージです。北村さんは、『本作が「眼差し」をめぐる映画であることは、主人公たちのドラマが繰り広げられるホテルの名前が「The Overlook Hotel」であることを考えるだけでも容易に理解できるだろう。「Overlook」という語が眼差しとともに考察されたとき、「見渡す」や「見下ろす」という権力の作動を示唆するのと同時に、「見落とす」や「見過ごす」という視覚的権力の非-作動の意味も持っていることは非常に興味深い』と考察しておられます。
ここから『近代的なシステムの中では、周縁にいる女や子ども、あるいは黒人は、近代的制度に取り込まれ排除されてしまう。・・・それゆえ、ジャックが外の世界に出ていくラストシークエンスは、近代的システムの喪失、すなわち見る男性主体の死を予期させる』、『ジャックの死の画は、それまでの遠近法的構図に対して、マネに代表される印象派以降の奥行きを欠いた平面的構図になっている』という北村さん独自の『シャイニング』読解に進んでゆくわけです。くわしくはコンテンツをお読みになってお楽しみください。
■ 北村匡平 映画批評『創造的映画のポイエティーク』『No.005 視覚的モダニティの失効と〈逃避〉の映画学―スタンリー・キューブリック『シャイニング』』 ■