谷輪洋一さんの文芸誌時評 『 No.011 小説 野性時代 第 120 号 (2013 年 10 月号) 』 をアップしましたぁ。今号の 『小説 野性時代』 さんでは 『野性時代フロンティア文学賞祭!』 という特集が組まれ、過去の受賞者のインタビューと作品が掲載されています。ほんで谷輪さんは 『そもそも 「読むのが苦手」 なのに、なんで書いたものを人に読ませようとするのか。・・・金魚屋プレス、文学金魚でも新人賞を募集するらしい。投稿子の悪口を言いすぎては、応募作に影響が出てしまうかもしれない。だいたい、そんな愚痴は百年一日、以前から文芸誌にクーポン券を付けて、三ヶ月分集めて貼らないと応募できないようにしようか、という話が出るくらいだ』 と書いておられます (爆)。
さもない業界内輪話しなのですが、文芸誌の編集者は新人賞応募作品を下読みしながら 『ウチの雑誌を読んでから応募しろってんだよなぁ』 といったグチをしばしばこぼすんですね。このブログでも何度か書きましたが、各文芸誌には、そこはかとなくどうしても譲れない一線があります。そのようなコードをまったく理解していない応募者に対して、編集者はついグチを洩らしてしまふわけです。
新人賞応募者の方々は、優れた作品なら認めてもらえるだろうと純粋に考えておられると思います。そのとおりなのですが、数十年に一度の傑作でない限り、文学の世界では何が優れているかの評価は相対的です。また新人賞受賞はゴールではなく、いわば一次テストです。新人賞は、様々なニーズに素早く対応できる能力を証明しなさいといふテストだと考えてもいいかもしれない。デビューしたらすぐに作品を量産できる自信があるなら、新人賞のコードに沿った作品くらい書いてみなさいよといふことです。版元が求めるニーズを理解しないでただ自分好みの作品を送りつけても、たいていはアウトです。
また出版環境が厳しくなるにつれて、新人賞を受賞しても本が出ないという事態が多発していますが、それは出版社だけの責任ではない。何が新しく、何が市場に受け入れられるかわからない時代ですから、出版社も冒険してある新人に賞を授与する。ところがその新人は、一、二作は目先の変わった作品を書くことができても、書き続ける能力がないとすぐにわかってしまうということも起こっています。それでは本を出して妙に期待を持たせるより、本を出さないという形で作家に再考を促す方が良心的な対応なのであります。
新人賞を受賞したいのなら、紙媒体なら当該の雑誌を、最低でも一年分くらいは熟読した方がよろしい。自分が書きたいものを押しつけるのではなく、メディアの要望を理解して、少なくともそれに沿った書き方や主題に作品をモディファイする必要があります。こういうことを書くと、反発を感じられる作家の卵の方は大勢いらっしゃると思います。でも純粋に文学に取り組む姿勢などといったものは、たいていの場合幻想です。純粋さを突き詰めて考えれば、そこにはエゴにまみれた邪念が渦巻いているはずです。純粋さは邪念を正確に認識しなければ得られない。他者の親身なアドバイスを、どこまで真摯に理解できるのかも作家の力量の内です。
プロの作家で原稿を否定され、眠れない夜を過ごした経験を持たない者は一人もいないと言っていいと思います。デビューしていない自由の身だから好き勝手できると考えるのは甘い。そんなことではデビューできません。またデビューした後の方が遙かに大変なのです。もちろん以上の新人賞を巡るプチ情報は、結果として文学金魚新人賞にもそのまま当てはまります。
■ 谷輪洋一 文芸誌時評 『 No.011 小説 野性時代 第 120 号 (2013 年 10 月号) 』 ■