「恋人の聖地 Again」という、昨年に引き続いての特集。「恋人の聖地」は、特定非営利活動法人地域活性化支援センターのプロジェクトで選定されたデートスポットだそうだ。地域振興、村おこしの一貫だろうが、全国に数多くある中から七つを選び、村山由佳、山本文緒、マキヒロチなどの作家がそれぞれ短編を書いている。
こういう試みで思い起こすのは、もちろん「歌枕」という言葉。あるいは「奥の細道」。それは歌であったり、俳句であったりするが、その作品が逆にその場所を定義する。日本の地図が、文学作品の集合によって書き直されるわけ。歌によって西国は厚く、東京は近世以降のテキストに覆われて、「奥の細道」によって定義された東北に終わり、九州と北海道の存在は希薄かもしれない。
地域振興のプロジェクトにかかる地名で作品を書くというのは、それに比べると「お題拝借」の域を出ないだろうが、いくつか気づかされることはある。作品がその地を規定するといった気宇もなく、その地の持つものにおんぶしようとする場合には、その地はできるだけアノニマス(無名)なところである方が書きやすい。
と言うと、こんな企画では矛盾してしまうのだが、とりわけ「恋人の聖地」などという安っぽい(失礼)ラインナップで、あまりにそれである場所を舞台にするのは、さぞかし骨がおれよう。まあ、教会の鐘が鳴って、白いスーツの新郎のポケットから鳩が出た、という具合に仕上げるしかあるまい。
実際、そんな地域振興やお題拝借やらとはいちおうの距離をおき、自身のスタンスで普段通り書く、というのがプロのあり方だし、どの作もそのようになっている。そうなると問いたくなるのが企画の意図だ。
詩も小説も、それぞれの世界を作ろうとしているわけで、その最新の断片を集めて束ねるということを月に一度ずつやっている文芸誌に、そうそう特集企画など思いつくはずもない。とんでもないものが出てくるのは当然で、その中では伝統とか歌枕とかを連想させる分、マトモな企画の部類に属する。
そういう特集を組むことをほとんど放擲してしまっている雑誌もあるけれど、そうなると月刊誌なら月刊誌のかたちで出していること自体が問われそうになる気がするから、まったくもって八方塞がりなわけで、同情してしまう。けれども何事も、追い詰められてヤケクソになった瞬間に何かが展開するものだ。
今回に関して言えば、この特集の一番いいところは「特定非営利活動法人地域活性化支援センターのプロジェクトで選定された」デートスポットという、文学的アトモスフィアの欠片もない、ヤケクソな感じ。このプロジェクトがひどく当たって、そちこちに「恋人」たちが押すな押すなでやってきている気配はまるでなく、そこが文芸誌の特集という、苦肉の策を重ねている代物と妙にマッチする。そして才能ある作家たちは皆、この「寒さ」こそを敏感に捉え、およそ「場所の記憶」として残りそうもないものを記そうと試みているみたい。
長岡しおり
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■