北原亞以子氏が亡くなった。その追悼の特集が組まれている。池内紀の「『でも、ま、いいか』」と、蓬田やすひろの「感謝しか、ありません」の二本。
こじんまりした追悼である。だけど、このぐらいがいいんじゃないか、という気にさせる。追悼も制度で、生者のものであることを思い知らされるのだが、かといって大々的であっても、残された生者の誰のためのものなのか、よくわからなくなるだけだ。
妙なものだが、「人間は死んでからが勝負」という言い方がなんとなく頭から離れない。死んだら終わり、でなく、死んでからが勝負。文学者や画家については、それは言える部分があるだろう。作品は、死んでから総括が始まる。追悼は、死者がいまだ生々しく生者の側にいた頃の名残りで、生者たちへの影響力がさせるものだ。大きな追悼を組まれる作家の作品が、解けない謎や割り切れない何かを澱のように残し、時代を経ても読み継がれてゆく、という保証はない。
とすれば文学者は亡くなっても、「勝負はこれから」の者として、ごく小さな、通りいっぺんの追悼を組まれるぐらいがちょうどいいのだ。もっとも、俺の葬式は密葬で、などと注文をつけることはあっても、俺の追悼はこんな塩梅で、というのは聞かない。いかんせん小説新潮も含めた、よそ様のすることなのだ。
北原亞以子氏は新人賞を受賞してから二十年後、四十歳を過ぎて時代小説作家として再デビューを果たし、作家としての地位を得た。そういったところからも、「余生の文学者」というイメージを持っている。コピーライターとして生活が安定し、一篇ずつの短編を持ち込んではボツになるといったことに見切りをつける心境になる、というのも、勇気や反逆と言うよりは余生に入った、ということではあるまいか。
そうしてなぜ、時代小説に取り掛かろうとしたのか。河岸を変えた途端に認められ、機会を得たというのも、やはり作家にも向き不向きがある、ということか。ただ、それまで時代小説に向いていることに気づかなかったというのでなく、やはり年齢、余生が為せる技だったろう。
若いうちは誰しも強い自我を持つ。しかしその強さもそれぞれで、他を圧するほどの強い自我、あるいは他にない個性に彩られた自我であれば、それによって突出することができる。四十歳過ぎての再デビュー、それも持ち込んではボツを繰り返していたとなれば、それは事実上のデビューだ。そこはむしろ自我のなさ、時代に埋没した人々と同化した感性を持ち、歴史に残った出来事を相対評価する成熟と諦念がはかられる場所なのだ。
作家の作品がいったん海に沈むかのように、時代の作品群の中に埋没する、ということはある。そこから底光りのように異彩を放ち、地引き網で引きずり上げられる、ということもしばしば起こる。しかし、それを決めるのはまさしく時代の意識・無意識であって、生者の誰それでも、生者たちの思惑でもない、ということだ。
谷輪洋一
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