岡野隆さんの『詩誌時評・句誌』『No.064 角川俳句 2016年10月号』をアップしましたぁ。大特集『「病牀六尺」の豊穣――半径1メートルの世界を詠む』を取り上げておられます。岡野さんが書いておられるように、『といっても正岡子規の特集というわけではない。(中略)特集は子規に倣って身辺の狭い空間にある風物を詠んでみようといったくらいの意図』です。でも特集としては中途半端なものになってしまってるなぁ。

 

特集では子規の名前を最初に掲げてしまったがゆえに、石田波郷ら病気で苦しんでそれを俳句にした作家や、篠原鳳作ら夭折した作家についての論が並んでおります。病気を句にすることと、身辺の細々した風物を写生的に俳句にすることは質が違います。前者はある意味、特権的自我意識表現になりがちです。でも後者は別に病者に限ったことではない、俳句一般の特徴を論じなければなりません。また夭折作家の短い人生は結果論であり、病気や死が作品で詠まれているとは限らない。そのあたりの整理がちょっと不完全でしたね。

 

まあ雑誌の特集が、ちょいと厳しい言い方ですがその場限りなのは今に始まったことではないです。昔、村上春樹さんが『『ユリイカ』ってなかなか棄てられないんだよなぁ』って書いておられました。石川もその気持ち、よくわかります。『ユリイカ』は毎号作家やイズムの特集号ですから、特別なことが書いてあるような気がする。でも実際には翻訳や年譜等の情報しか役に立たなかったりする。ある作家やイズムについて本気で知りたいと思ったら、たいていの人はオリジナルに当たるか、時間をかけて書かれた評論などをを買いますよね。要するにちゃんと読んでなくて後で読もうと思ってるから棄てられない(爆)。

 

ただまあ雑誌特集はいつの時代もそんな質のもので、アトモスフィアも含めて成立しております。もちまったく役に立たないということでもありません。ただ作家が雑誌の要請に応えることが〝仕事〟だと思い始めるのは、あんまりよくない点もあります。締め切りに追われることが作家としてのステータスだと夢想してる方は多いと思いますが、雑誌の都合で使われているのか、自分の原稿がどーしても欲しくて依頼されているのかは考えてみる必要はあるでしょうね。後者はほんの一握りです。また後者は作家がある〝核〟を抱えているから社会的ニーズが起こるのであって、そういう場合は時間が経ってもちゃんと読める原稿であることが多いです。

 

 

岡野隆 『詩誌時評・句誌』『No.064 角川俳句 2016年10月号』 ■

 

 

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