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公演日程:10月21日(金曜日)~30日(日曜日)

場所:芝居砦・満天星

東京都中野区上高田4‐19‐6 ゴールデンマンションB2F Tel.03‐3385‐7971

JR東中野駅西口、大江戸線東中野駅A1出口より徒歩12分/東西線落合駅1番出口より徒歩9分

作 : 寺山修司

構成 : 水嶋カンナ

演出 : 金守珍

舞台美術・衣装 : 宇野亞喜良

照明 : 泉次雄+ライズ

美術・衣装助手 : 野村直子

振付 : 大川妙子

音響 : 大貫誉

衣装 : 前田和美

協力 : テラヤマワールド/ポスターハリス・カンパニー/森崎偏陸/新宿梁山泊/TYプロモーション/大須賀博/塚原希代

出演 : 「エスポワール」:申大樹(少年)、関根麻帆(少女)/「ボヌール」:田部圭祐(少年)、日和佐美香(少女)/「リーブル」:平安伸伍(少年)、森永理科(少女)/「ジュネス」:小林由尚(少年)、momona(少女)/演奏・出演:黒色すみれ(全公演出演)/世界三大美女子: 傳田圭菜、有栖川ソワレ、神谷沙奈美(全公演出演)/人形遣い:ルナティコ(全公演出演)

前売 : 3,800円 当日:4,300円

■詳細は以下のURLでご確認ください■

http://www.project-nyx.com/

 

 

 Project Nyx(プロジェクト・ニクス)は劇団・新宿梁山泊の女優・水嶋カンナさんが立ち上げた演劇ユニットである。宇野亞喜良さんが総合美術を担当し、梁山泊の金守珍(キムスジン)さんが演出を手がける。Project Nyxの設立趣意は、「不朽の名作から知られざる傑作まで、忘却の彼方に漂うイメージに息を吹き込み、現代のパフォーマンスとして蘇らせる実験演劇ユニット」とHPで説明されている。旗揚げ公演が『かもめ 或いは 寺山修司の少女論2016』で、今回は再演になる。

 

 新宿梁山泊はアングラ系の劇団として知られるが、シェイクスピアなど様々な脚本を上演している。しかし最近は唐十郎脚本の上演に力を入れている。そこには戦後の新たな演劇として、もっと言えば、「二十世紀の日本で生まれた最も重要な演劇は、唐十郎を中心としたアングラ劇ではないのか」という主宰の金守珍さんの考えがあるように思う。言うまでもなく寺山修司は唐十郎と並ぶアングラ演劇の雄であり、時間軸で言えば唐に先だって、後にアングラと呼ばれることになる演劇を生み出したパイオニアである。Project Nyxは来年(二〇一七年)一月十九日から二十三日まで新宿FACEで寺山作の『時代はサーカスの象にのって』を上演するが、この立て続けの上演にも梁山泊の今が反映されているように思う。

 

 Project Nyxの『かもめ 或いは 寺山修司の少女論2016』の原作になった寺山の『かもめ』は、新書館の女の子向けシリーズ本「フォアレディース」の一冊として書かれた。フランスのシャンソン歌手ダミア(マリー・ルイーズ・ダミアン)が歌った『かもめ』(リュシアン・ボワイエ作)にインスパイアされて書かれた作品である。天井桟敷の立ち上げ前後から、寺山は劇団維持のためもあって原稿を書き飛ばしていた。天井桟敷は儲からなかったのである。『かもめ』もそんな書き飛ばしの一冊である。

 

 寺山は、今なら原稿の二重売りと言われてしまうかもしれないような危うい売文業で原稿を量産して稼いでいた。ただそれが寺山修司という作家の胡散臭さも含めた魅力なのだ。またそんなメチャクチャな売文稼業の中から寺山独自の執着が生まれてくる。〝カモメ〟もその一つであり、浅川マキに提供した歌詞やテレビドラマのタイトル、また自由詩の作品でもカモメを多用している。この一つの核を中心に無限に拡がってゆくようなイメージと観念の世界が、いわゆる寺山ワールドである。

 

 そんな寺山ワールドを演劇化するときには、そのいい加減さ、うさん臭さ、滲み出すように拡がってゆくとりとめのなさ――にもかかわらず、純としか言いようのない核を、どう舞台で再現するのかがポイントになる。この舞台化のための〝解釈〟という点で、水嶋カンナさんの構成と金守珍さんの演出は見事だった。Project Nyx版『かもめ』は寺山本を原作にしているが、寺山のほかの著作や、寺山が好んだ文学者の言葉や映画の台詞なども活用している。舞台演出もまた万華鏡のようなパッチワークだった。

 

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 舞台は寺山著の『かもめ』を手にした少年・少女役の俳優が、交互に小説を朗読することで進んでゆく。エスポワールの回、ボヌール、リーブル、ジュネスの回と銘打たれているように、少年・少女役の俳優は日替わりで変わる。朗読が途切れると本の物語世界が始まる。それを盛り上げるために女性デュオ・黒色すみれの二人が歌い、本の中の主人公である女の子が人形で登場する。また楊貴妃、クレオパトラ、小野小町の世界三大美女が現れて女性の処女性と娼婦性を議論する。その間も舞台背景のスクリーンには宇野亞喜良の絵や文学的な言葉が投影されては消えてゆく。俳優、人形、音楽、映像、言葉から構成される舞台である。

 

 ストーリーを言えば、寺山の『かもめ』は少年と少女の残酷な悲恋物語である。十七歳の少年が十五歳の恋人の少女に、「僕は船乗りになる。一年経ったら戻ってくる。来年の君の誕生日は必ず二人で祝おう」と言い残して旅立ってゆく。しかし少年は戻ってこない。ただ少女は絶望しない。花を飾り本を読み、海を見ながら少年が帰るのをずっと待っている。十年が経ち十五年が経つ。ある日生まれて初めて酒場で酒を飲み、酔い潰れた少女は船乗りたちに凌辱されてしまう。その日から少女は気が狂い、キャンバスにカモメばかり描くようになる。ある夜、老女となった少女の部屋の中からけたたましい鳥の羽音がする。不審に思った階下の人が部屋を覗くと、キャンバスに描いたカモメはすべていなくなっていた。少女だった老女は亡くなっていた。

 

 寺山は、例によってこの物語の骨格を一瞬で思いついたはずである。寺山文学の主題が女性に、もっと言えば〝母〟にあるからである。舞台の最初の方で「少女は生殖機能を持ったときから少女ではなくなる」という寺山の言葉が朗読されるが、少女と老女は聖なる存在として彼を魅了する。では生殖機能を持ち男に欲望される女を嫌悪していたのかというと、そうとも言えない。彼は恐れながら欲望している。女の中に彼が求める純なものが常に存在していると知っているからである。しかしその強さは試されなければならない。成熟した女は男たちに凌辱されることで、その純粋性を高める。劇中に登場する世界三大美女の一人小野小町は、実は自分は永遠の処女かぐや姫なのだと言うが、楊貴妃とクレオパトラに「それは本当の意味で愛を知らないということだ」と非難される。

 

 寺山は「どこかに解けない謎はないものか」と書いたが、それは彼が逃れがたい〝解答〟としての表現の核を抱えていた作家だからである。この解答を直視することを、寺山はほとんど生理的なまでの執拗さで回避しようとした。決して答えにたどり着かないように、次々に質問を浴びせかけ、答えを拡散させてゆく。他者の言葉を引用し、矛盾した言葉や行動を並べ、中心から遠ざかろう遠ざかろうとする。しかしほとんど中心から逃げ延びたと感じた時に、彼は常にその固有の主題に引き戻される。

 

 『かもめ』では少女を残して船出した少年は生きている。ある島の灯台守になり、孫の頭を撫でながら海を見つめている。「昨日まで七羽だったカモメが八羽になっている」と孫に言う。彼はそれが少女の魂であることを知っている。だが「人生は厳しいのだ」と自己正当化の言葉も口にする。故郷に残してきた少女を今も愛しているとも思う。なぜ少年は老人となって生きているのか。心から愛した少女にこの世で一番辛い体験をさせ、この世で一番幸せで純な愛を与えるためである。その意味で少年と少女の関係は息子と母の関係に似ている。『かもめ』の物語は少年が見た夢だとも言える。彼は愛を得られずに取り残される。無償の少女の愛だけがカモメになって海の上を飛んでいる。

 

 Project Nyx版『かもめ』では、舞台の最後の方に、スクリーンに谷川俊太郎やマリー・ローランサン、シェイクスピア、アンドレ・マルローらの愛や舞台芸術に関する言葉が流れる。内容が矛盾していようと、どれも寺山演劇という肉体の延長線上にある言葉である。寺山芸術は、作家自身が隠そうとした中心を取り巻くパッチワークなのだ。このパッチワークを、寺山は他者には中心が見えなくなるほど周到かつ執拗に張り巡らせていった。その構造を水嶋カンナと金守珍は正確に理解している。現代なら、マルチメディア系の複雑な構成と演出が寺山作品にはふさわしい。Project Nyx版『かもめ』でエンドロールのように流れる言葉を読みながら、寺山修司芸術の本質を描いた演劇映画を見たように思った。

 

 またProject Nyxの『かもめ』冒頭で朗読される、「少女は生殖機能を持ったときから少女ではなくなる」という寺山の言葉の言葉を聞いて、唐十郎の『少女仮面』の有名な劇中歌、「時はゆくゆく乙女は婆アに、それでも時がゆくならば 婆アは乙女になるかしら」を思い出した方は多いのではないかと思う。寺山と唐は確かに似ている。もっと厳密に言えば、寺山演劇を見て唐十郎は自分の演劇を表現するための鍵を掴んだのではないかと思う。

 

 アングラ演劇とはなんなのだろうか。アメリカのアンダーグラウンド・カルチャーから生まれた言葉だとも言われるが、日本のアングラ演劇には夜店のアセチレンランプと見せ物小屋のうさん臭い雰囲気が漂う。徹底した物質文明の影であるアメリカン・アンダーグラウンド・カルチャーとはほど遠い。だから日本のアングラはANGURAとしか表記しようのないものなのだが、オリジナルが持っていた〝地下性〟は共通している。

 

 乱暴な言い方をすれば、日本のアングラが意味しているのは〝無意識〟のことだと思う。人間の意識下の欲望や思想やイメージを、舞台という、あからさまに明るく即物的な場にさらけ出す演劇である。寺山は表現の核を抱えた作家だが、それを隠し守るために膨大な無意識的引用をパッチワークのように行った。しかし唐のそれは質が違う。唐の無意識は舞台上に引きずり出してみて初めてなんらかの意識として結晶する。その意味でProject Nyxが実験してみせたように、寺山戯曲は改変や再構成が可能だ。寺山的演劇構造を把握すれば、オリジナルに様々な要素を付け加えることができるのである。しかし唐戯曲ではそれは難しい。唐作品では無意識の網の目が言葉の端々まで有機的に絡み合い拡がっている。こういった劇は、世界中探しても日本のANGURA演劇の中にしかない。

 

 なおProject Nyxの『かもめ』を見ている最中は、この俳優さんたち、ずい分うまい歌と演奏だなぁ、口パクかなぁと思っていたが、黒色すみれは生歌で生演奏だった。お二人が優れたプロミュージシャンだと存じ上げなくて申し訳なかったです。少年・少女役の俳優さんも、世界三大美女の女優さんたちも的確な演技で、かつ青空を飛ぶカモメのように綺麗でありました。またルナティコさんが操っていた人形は宇野亞喜良さん制作だそうで、俳優さんたちに負けず劣らず魅力がありました。あのお人形、欲しいなぁ。

鶴山裕司

 

 

 

 

 

■ 新宿梁山泊のコンテンツ ■

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■ 寺山修司の本 ■

 

■ 唐十郎の本 ■

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■