鶴山裕司さんの文芸批評『東洋学ノススメ』『No.002 日本文学の原点-馬場あき子中世文学論(中編)』をアップしましたぁ。ええっと石川、今年のお正月休みが短かったもので、焦りまくって急いでほろ酔いモードに突入しておったわけですが、そのせひでいくつかメールを読み落としておりました。鶴山さんの馬場あき子論は、本来はけふから上中下の3回連載の指示だったのだなぁ。フライングしてしまひました。全部おちゃけが悪いのでふ。

 

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んで中編では王朝女流文学論が展開されております。王朝女流文学は平安中期の紫式部『源氏物語』、清少納言の『枕草子』、それに和泉式部の和歌によって確立されますが、平安後期の『新古今』時代になって最後の光を放ちます。『新古今』以降は正岡子規が、『仰(おおせ)の如(ごと)く近来和歌は一向に振ひ不申候(もうさずそろ)。正直に申し候へば万葉以来実朝(さねとも)以来一向に振ひ不申候』と書いたような状況になるわけです。

 

鶴山さんは『この純粋技巧主義は(中略)『新古今和歌集』で恐るべき頂点に達する。(中略)歌人たちは二十世紀の現代詩人たちのように、言葉による新たな表現可能性を追い求めた。あるいは言葉の中に、抽象的だが至高のイデアがあると深く信じたのである。(中略)技巧が極度の洗練に達したということは、その内実である観念もまた抽象の度を増したことを意味する。王朝時代の男性性ベクトル-すなわち権力や浄土も、女性性ベクトル-つまり情念渦巻く鬼の世界も、かつての生々しい肉感を失って希薄化し始めていたのである。それは王朝文化そのものが相対化され、大きく客体化される時代の始まりであった』と批評しておられます。

 

このような状況から中世が始まります。馬場あき子論に即せば、ここから能楽が生まれるわけです。能楽は『十四世紀後半から十五世紀にかけての〈整理の文学〉であり、大胆な総合への意欲を見せた〈混淆の美学〉』(馬場あき子)でした。馬場-鶴山理論によって、摩訶不思議な能楽が読み解かれてゆきます。スリリングな論旨です。じっくりお楽しみください。

 

 

鶴山裕司 文芸批評 『東洋学ノススメ』『No.002 日本文学の原点-馬場あき子中世文学論(中編)』 ■