高島秋穂さんの詩誌時評『No.013 角川短歌 2015年03月号』をアップしましたぁ。12月は馬場あき子さんのインタビューで幕開けしたこともあり、高島さんの「角川短歌」時評を連続でアップします。詩誌時評といっても文学金魚では状況論をお願いしていません。今何が起こっているとか、今年の歌集・句集・詩集で何が良かったとかは、あんまし書かなくていいですよ~といふことです。雑誌をネタに、詩の各ジャンルについて考えるためのヒントを書いいただいています。それでも各号でどんな特集が組まれているかなどは、時評を読んでいただければわかると思います。

 

「角川短歌」の特集は『記録としての短歌』です。高島さんは福島泰樹さんを高く評価しておられます。今月号に載っている彼の短歌『歌業とは眸に灼くきつく映像をはがねに鍛え立て直すこと』は秀歌ですね。高島さんは、『福島さんの中でかつての政治闘争は深く内面化されています。それはテレビなどで悲惨で衝撃的な事件を見聞きして脊椎反応的に詠んだ歌ではありません。福島さんの政治闘争の記憶は累々の死者の歴史でもあります。その先端にいて生き残った彼がもはや物言えぬ物たちの声を書き留め短歌絶叫にしているようなところがあります』と批評しておられます。

 

また高島さんは、『穂村弘さんの評価が高いですがそれは彼が口語短歌的と言ってよい揺るぎないテーマを抱えているからです。(中略)気楽な気持ちでそれに飛びつくのは危険です。(中略)どんな芸術ジャンルでも技法は模倣し盗むことができます。しかし作家が内面深く育んだテーマは絶対に模倣することができないのです』と批評しておられます。その通りだと思います。

 

石川はよく『Web文芸誌は誰でも読めるわけだから、剽窃とか気になりませんか?』と聞かれることがあります。誰かの書いたものをそのまま自分の作品として発表すれば剽窃です。問題になるのは ①『アイディアをかっぱらうこと』、②『影響を受ける(インスピレーションを得る)こと』の違いでしょうね。① の場合は限りなく剽窃に近いと思います。② は影響を受ける側が自分個人の表現思想を持っていることが前提になるので、剽窃には当たらないと思います。また実際 ① の場合は出典を銘記せず、② は誰に影響を受けたか明記することが多い。プロなら文章を読めば ① か ② かわかります。

 

大抵の場合、『剽窃が気になる』というのは ① の場合を指します。みなさんそんなにあからさまぢゃないですから。しかし高島さんに倣えば、『作家が内面深く育んだテーマは絶対に模倣することができない』のです。ただしほんの一握りのコンテンツを後生大事に抱えている作家はWeb文芸誌には不向きです。Web文芸誌で作品を発表すれば、原則世界中から閲覧できるわけです。大きな注目を浴びる可能性がある反面、① のような淫靡な剽窃のリスクにさらされるのも確かです。

 

そのリスクをどう回避してゆくのか。Web文芸誌で書き始めたら、どんどん書いて発表してゆくことです。Web文芸誌から世の中に出る方法は、紙媒体の方法とは明らかに違います。それは文学金魚の文芸誌批評・詩誌批評をお読みになればご理解いただけると思います。Web文芸誌から頭角を現すのは低レベルの剽窃など気にせずいくらでも書ける作家だと石川は考えます。そこから年に数冊紙の本を出すやり方に移行するかどうかは作家の自由です。

 

政治・経済を動かす力になっているWebが、文学の世界にさらなる決定的影響を及ぼすのは時間の問題です。ただそれは同時に膨大な作家予備軍を生み出します。Webも紙媒体もツール(作品発表のためのメディア)に過ぎないわけですから、膨大な作家予備軍はWebにも紙メディアにも必ず触手を伸ばします。簡単に言えばWebでも紙メディアでも従来よりさらに激しい競争が起こる。質と量を兼ね備えた圧倒的力を持っていなければ文学者として生き残れない時代が来るということです。

 

 

高島秋穂 詩誌時評 『No.013 角川短歌 2015年03月号』 ■