山本俊則さんの美術展時評『No.044 生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村(後編)』をアップしましたぁ。後半は与謝蕪村についてです。山本さんは、『美術界では南画の大家だが、蕪村は一般的には優れた俳人として知られている。・・・長い長い俳句の歴史の中で、真に巨人と呼べる作家は少ない。江戸時代では元禄の芭蕉と天明時代の蕪村が二大巨頭である。・・・蕪村俳句の大きな特徴は漢語の多用と視覚性である。・・・蕪村には実際に見て作った鮮明なイメージの作品が多い。蕪村の絵と俳句は・・・密接な関係がある』と書いておられます。

 

鞘走(さやはし)る友切丸(ともきりまる)やほとゝぎす

ほとゝぎす平安城を筋違(すじかひ)に

子規棺(ほととぎすひつぎ)をつかむ雲間より

 

山本さんは『蕪村句集』から春・ホトトギスの句を引用しておられますが、ハッとするほどの秀句揃いです。山本さんは『「友切丸(ともきりまる)」は『曽我物語』に出てくる源氏重代作の宝刀で・・・友切丸を抜いた時の戦慄が、二句目の「ほとゝぎす平安城を筋違(すじかひ)に」に引き継がれている。・・・「子規棺(ほととぎすひつぎ)をつかむ雲間より・・・は現代俳句としても十分通用する』と批評しておられます。ただ蕪村絵画の鑑賞はなかなか難しい。

 

山本さんは、『わたしたちは若冲の絵を現代の視線で見ている。若冲作品は現代絵画と地続きであり、そこから様々な可能性を感じ取ることができる。それに対して蕪村の絵画は古ぼけてくすんで見える。・・・しかしよく目を凝らし、思考を巡らせれば蕪村の真の姿が見えてくるはずである。俳句が現在に至るまで日本文学の基層であるように、蕪村絵画の精神は日本人が描く絵画の底流を成している。ただ現代のわたしたちにとっては、若冲を理解するよりも蕪村を的確に理解する方が、遙かに困難なのは確かなことだろう』と書いておられます。

 

 

山本俊則 美術展時評『No.044 生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村(後編)』 ■