鶴山裕司さんの連載評論 『現代詩人論』 『 No.008 終わりと始まり-飯島耕一論 (下) 』 をアップしましたぁ。飯島耕一論完結篇です。飯島さんは 10 月 14 日にお亡くなりになりましたが、最高の追悼をさせていただいたと思います。評論で最も大事なのは作品が正確に読まれることです。その帰結が賛辞だろうと否定だろうとさほど問題ではありません。作家も読者も的確な読解を踏まえてさらに先に進むべきです。鶴山さんの批評は厳しいですが、誉め言葉ばかり並べたてる今の批評界では正確かつ誠実な評論だと思います。
金魚屋では『金魚屋詩壇』を作って作品や批評、討議などを掲載しています。ただ原則として状況論は扱いません。その場限りの状況分析や、今年出版された新刊本の総括などはしないということです。そのような小手先の議論では現在文学界が陥っている停滞状況を打破できないと考えます。詩に関する原理論、あるいは長期的パースペクティブを持った作品や評論を掲載したいと思います。それは必ず文学界全体に寄与すると思います。
厳しいことを言いますが、詩人はヒマです。小説家などに比べれば仕事をしているとは到底言えない。詩が労働になりにくいことは十分承知していますが、自分から積極的に仕事を作り出す作家すらほとんどいません。ジャーナリズムに要請された企画に乗って仕事をしている気分になっている。しかしそれは毎月毎年、自分でなければほかの誰かがページを埋める原稿に過ぎません。書いた端から忘れ去られる。それがジャーナリズムだと考えるのは大変危険です。
『金魚屋詩壇』では腰を据えた、どうしてもこれを書きたいという詩人の仕事を歓迎します。それが真のジャーナリズムだと確信しています。詩人の皆さん、様々な雑音をシャットアウトして、もっと腰を据えた作品や批評を書いてください。経済的にも一般読者からの注目という面でも厳しいジャンルだからこそ、詩では原理的な探究ができるはずです。詩人には詩の素晴らしさを世界に向けてアピールする義務があります。文学金魚では、詩のために本質的に寄与する優れた仕事を求めています。
■ 鶴山裕司 連載評論 『現代詩人論』 『 No.008 終わりと始まり-飯島耕一論 (下) 』 ■