第3回 金魚屋新人賞(辻原登奨励小説賞・文学金魚奨励賞)を以下の通り発表します。受賞者には記念品と副賞を授けるとともに受賞作は順次、文学金魚に掲載いたします。
■ 辻原登奨励小説賞 ■
原 里実 『レプリカ』
■ 文学金魚奨励賞 ■
青山YURI子 『ショッキングピンクの時代の痰壷』
■ 文学金魚奨励賞 佳作■
西山由美 『濁点の女たち』
■ 辻原登奨励小説賞受賞 原里実 『レプリカ』■
【原里実 略歴】
1991年生まれ、東京都出身。中学在学時より創作をはじめ、ホームページを自作する。高校ではバンドを組み作詞・作曲に取り組む。2009年東京大学文科三類入学、13年教養学部生命・認知科学科卒業。卒業研究テーマは人を好きになることと感情の記憶との関連について。卒業後出版社に入社し、広告営業担当として勤務しながら書いた短編『タニグチくん』が2014年三田文学新人賞佳作に入選。その後『みよ子のまつげちゃん』『インストラクター』を発表(共に「三田文学」)。2015年3月に退職し、同4月からワーキングホリデーでイギリスに滞在中。外国人向け日本カルチャー誌「ZOOM JAPAN」勤務。運動が苦手。
【受賞の言葉】
ある一瞬を境に世界が変わった、などという劇的な話はきっと現実にはないけれど、ほんのわずか、けれど確かに視界の開ける瞬間というのは存在する気がする。わたしにとって、今回受賞のお知らせをいただいたことがそれでした。
ギアチェンジのようなものなのかもしれません。エンジンをかけたばかりのときは、重くて、なかなか進まない。すこしずつスピードを上げて、飽和状態のようになったとき、ギアが切り替わる。すると少しの力でも前に進めるようになる。でも行きたいところは遠く、次のギアチェンジまでまたひたすらにスピードを上げる。いったい何段階あるのかわからない。終わらないギアチェンジ。
けれどチェンジの瞬間、ふっと足元が軽くなった今の一瞬、やはりすこしだけほっとしています。一生懸命書いていてよかったな、と思いました。ものを書くということは元来孤独な取り組みであるのかもしれませんが、それでもやはりその先で誰かとつながることができた瞬間こそ、わたしにいちばんの喜びを与えてくれます。
選考委員のみなさまがわたしの書いたものを読み、評価してくださったこと、そしてこれから多くの方に読んでいただけることを非常にうれしく、幸運に思います。
また次のギアチェンジを目指して、今日からもますますがんばります。
原里実
■ 文学金魚奨励賞受賞 青山YURI子 『ショッキングピンクの時代の痰壷』 ■
【青山YURI子 略歴】
1990年生。
武蔵野美術大学中退後、2009年に渡西。
Selectividad受験後バルセロナ大学文献学部、芸術学部に計4年通う。
作家を志し休学後退学。ベルリンに10ヶ月滞在。
【受賞の言葉】
『ショッキングピンクの時代の痰壷』では素敵な名前の賞を頂き、ありがとうございました。
ピカソの『青の時代』に憧れ、同年代(21−24)の時期に、自分には『ショッキングピンクの時代』があれば楽しい、と思い作りました。
文章を書き始めた時、なるべく多様な場所で書くことを目標にしていました。世界のどこにいても出来る、ことが書くことの大きな魅力の一つであると感じていたし、異なる場所で書くと書き物がどう変わっていくのか、とても興味がありました。家(世界のどこにいてもほぼ同じ)では書かないと決め、バルセロナではゴシック地区の『副王の館』の中庭(入場無料)や、『妖精の森』というカフェには友達を誘って、書くためによく通いました。ヌーディストビーチやクラブのトイレでも、泳いだり踊ったりした直後にはどのような文章が生まれるのか、と試したり。
一年ほどでそれは落ち着いたのですが、今、この作品を書いた場所を忠実に振り返ってみると、だいたいこのような場所があります。
バルセロナ:ダイヤモンド広場のカフェ、友達のアパート(グラシア地区)、15世紀に建てられた大学の歴史キャンパスの図書館、美術学部の図書館、美術学部のキャンパスからマリア・クリスティーナ広場行きのとても快適なトラムの中、終点マリア・クリスティーナ駅のスタバ、そこからディアゴナル駅に歩くまでにあるフレスコという、8ユーロで食べ放題のレストラン。あまり快適ではないメトロの中や、ラスコルツ駅近くのロシア人の経営するカフェ。サンツ駅のマック。アパートのあったレセップス広場前の、ジャウマフステー図書館。
ベルリン:シモンダッハ通り。ワイマースドルフ通り。クロイツバーグのベルクマン通り。
ニューヨーク:エルムハースト地区を中心に。
日本:直島行きのフェリーの中(岡山県)
これからも書く場所にこだわり、その幅を広げつつ、原稿を増やしていけたらと思います!
ありがとうございました💫💫
青山YURI子
【総評-辻原登】
■第3回金魚屋新人賞最終候補作全講評■
辻原登奨励小説賞受賞 原里実『レプリカ』
25枚ほどの短編小説だが魅力がある。問題は筆力と『レプリカ』で書いたようなテーマをほかの作品でも展開できるかということである。はっきりいうと、女性作家はたまさかの偶然で『レプリカ』のようなちょっといい作品を書くことがある。この短い作品一作で作者の作家としての力量を判断することはできないが、短篇連作、あるいは中編、長編と、『レプリカ』のようなフェミニンな小説を書くことができれば、一定の女性読者を得られるかもしれない。
文学金魚奨励賞受賞 青山YURI子『ショッキングピンクの時代の痰壺』
この作品を評価するのは同時代人の勘以上のものではない。〝新しいかもしれない、可能性があるかもしれない〟というだけのことである。連作だがまとまりに欠け、ストーリーを読む面白みもあまりない。だけどもしかして化けるかもしれない。『ショッピングピンク時代の痰壺』というタイトルに表れているように、強烈な色彩の時代だという予感はあり、痰壺という穢で混沌としていて、だけど内側に閉じ籠もる、閉じ込められるような矛盾した観念が作品にはある。この矛盾を解消して、読者に訴求力のある〝商品〟として小説を仕上げられるかどうかは作者の今後の努力次第だろう。
文学金魚奨励賞 佳作 西山由美『濁点の女たち』
『オール讀物』的な典型的な大衆小説の書き方で、人間関係や具体的な生活描写など非常にうまい。魅力はあるのだが、この小説のウリはなんだろうと考えると迷ってしまう。この小説のような書き方に心地良く酔うことはできるのだが、それを読者に受け入れてもらうためには作家の輪郭がはっきりするような作品(いわゆる鮮烈なデビュー作とか代表作)が必要だろう。これだけの文章テクニックをお持ちなのだから、大衆作家として心根を決めて、作家にとって最も切実な主題をドラマチックなフィクションにまとめてほしい。
(以上、受賞作と佳作)
大野弘紀『黄金律』
13章の連作詩を書いた筆力は評価できる。しかし鬱屈した作者の内面表現としてはやはり弱い。黄金律は自己の中にある確固とした倫理規範のことだが、それが揺らいでいる。8章『パンドラの筺』で『あなた』が現れ、最終13章『命の定め』で『愛しい人よ…さようなら/その愛は私ではなく あなた自身を幸せにするために捧げればいい』と、自己ではなく他者への呼びかけになってしまっている。それが苦し紛れのはぐらかしに読めてしまう。哲学的主題を貫くならもっと孤独な思惟を深める必要がある。
川上陽子『たとえ世界が美しくなくても』
アメリカ留学経験を元にアメリカを舞台にした小説は、いまだに読者に興味を持ってもらえるアドバンテージだろう。また小説の書き方はこなれていてうまい。しかしアメリカ人の大学教授を主人公にする必然性が、最後までわからなかった。アメリカの大学の雰囲気やそこでの精神状況を描くことに著者は必然性を感じているようだが、それを小説で表現し〝読者に読ませる〟ためにはもう一工夫が必要。大衆小説なら〝新しい情報〟をコンパクトにまとめた方がいいし、純文学なら日本人を主人公に設定しないと訴求力がない。この小説の一番の読者は著者自身だと思うが、その偏愛的なテーマが相対化できれば、もっと大きなパイとしての読者層が見えてくるのではないかと思う。
川上陽子『着物ダイナー』
基本的に『たとえ世界が美しくなくても』の評と同じ。作者が興味を持ち描きたい事柄と、読者が知りたい、読みたいと思う事柄には常に差がある。著者と同じ留学経験者が『たとえ世界が美しくなくても』や『着物ダイナー』を読んでも、さほど新しい発見はないだろう。小説の背景は留学でもグローバリズムでもいいが、そこでの抉られるような人間心理を描かなければ、留学経験者を仮想読者にすることも難しいと思う。また抉られるような人間存在の軋みは普遍的なものであり、それがあれば現代のグローバリズムを背景にしていても、それをよく知らない人たちをも仮想読者に設定できると思う。
絹川嘉子『ローマが告げる』
軽やかな抒情詩で好感が持てる。全九編の短詩だが、この調子でどこまでも書けるのか知りたいところだ。身も蓋もないことをいえば、詩人は詩集一冊出せば誰でも詩人である。有名だろうと無名だろうと、詩人だという矜持を持って、誰からもダメ出しされずに創作を続けてゆくこともできる。『ローマが告げる』連作はしなやかに言葉が溢れ出していて面白い、というレベルに留まっていて、さて、この詩人がどこまで社会に自分の創作をアピールしたいのかが伝わって来ない。つまり何をもって他の詩人と自己を区別するのか、自己の作品の優れたポイントをどうアピールするのか、もう一押しの努力が必要だと思う。もちろんひたすら楽しく詩を書いていきたいという選択肢もあります。
山田将一『シュール・フィクション『廃墟の隣人』』
全十五編の長編詩で筆力のある作家だと思う。ただ内容は基本物語的で、そこに観念が入り交じっている。つまり現実を描きたいのか観念中心の作品なのははっきりしない。もっと言えば、詩として書かれているが、詩なのかどうか判然としないところがある。現実の重みを描くことを避けるために便利な詩の形式が選ばれているのではないかという印象がある。小説には小説の、詩には詩の避けては通れないルールがある。テーマはお持ちなのだから、それが小説や詩で〝なければならない〟理由をお考えになると、もっとシャープな作品になるだろう。
ユメノ『永久途上』『三千世界彷徨』
独特の世界観を持った作家だと思う。二作とも彷徨する男(と女)を描いている。ただ怪奇小説でもホラー小説でもなく、ある世界観だけが感じられる雰囲気小説(アトモスフィア小説)になっている。作品集として出版するなら、このような泉鏡花や夢野久作的アトモスフィア小説を四、五作並べてもそれなりに成立するだろうが、新人賞のように、作家が自分の力量を端的にプレゼンテーションする場では不向きである。彷徨の理由とその終わりを描かないことで成立している小説は、やはりどこか弱い。
真摯に創作に取り組んでおられるすべての方に心より敬意を表します。また文学金魚新人賞に作品をお寄せくださった皆様に改めて感謝申し上げます。
なお第4回 金魚屋新人賞の応募要項は、
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文学金魚編集部 石川良策
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