谷輪洋一さんの文芸誌時評 『No.011 すばる 2013年05月号』 をアップしましたぁ。文学金魚は毎日更新なので、4、5日ぶりでも久しぶりの文芸誌時評という感じがします。劇団・遊園地再生事業団主宰の宮沢章夫さんと詩人の佐々木幹郎さんの 『3.11後の言葉と声』 を取り上げておられます。東日本大震災は多くの日本人に忘れ難い記憶となり、新たな思考の機会を与えました。ただ谷輪さんが書いておられるように、文芸誌で取り上げられるたびに 『またか、と言うか、まだかという気』 がするのも確かですね。
3.11に関する情報は、その気になれば誰でもたくさん集めることができます。その衝撃を最もよく伝えてくれるのは映像中心の記録です。3.11から派生した問題は政治・人道的問題であり、多かれ少なかれ実際の行動が必要です。文学者は本質的にジャーナリストでも政治家・社会活動家でもありませんから、文芸誌が3.11を取り上げる時は、当たり前ですが文学の問題となっている必要があります。でも文学として3.11の核心 (複数あるでしょうけど) に届いたと感じる作品や評論はまだ現れていない気がしてしまうのですね。
谷輪さんが書いておられるように3.11の 『どの文脈が時代を規定し、どのように歴史が形作られてゆくのか、今はまだ見守るしかない段階』 だと思います。そもそも日本人は、第二次世界大戦の敗戦の衝撃すら、十分に文学として消化しきれていないと思います。乱暴に言えば、戦後文学が描いたのは 〝ひどいめにあった〟 〝腹減った〟 という肉体感覚から始まる精神的飢餓感だったような気がします。確かに優れた戦後文学は存在しますが、出来事の衝撃の全体を描いているとは言えない。衝撃的な出来事は、渦中にいる時よりも、それを生き抜いた後の処理の方がずっと難しいのです。
■ 谷輪洋一 文芸誌時評 『No.011 すばる 2013年05月号』 ■