宮沢章夫と佐々木幹郎との対談「3・11後の言葉と声」。またか、と言うか、まだかという気もしたのだが、存外に(失礼)面白く読んだ。面白いのは、宮沢章夫が演劇人だからであって、3・11という文学にはなかなか融和しないテーマに、最も上手く接近できるのは演劇というジャンルではないか、と思われた。
実際、あれから各文芸誌で行われた3・11がらみの特集の出来は、惨憺たるものだった。それは文学の力が弱まっていることとか、文芸誌のレベルが下がっていることとは、本質的には関係なかったと思われる。もう少し勢いのある時代であったら、あれほど醜態をさらさずに済んだかもしれないが、むしろ問題点が糊塗されただけだったろう。
文学というのは、起こっていることを現在進行形で捉えるものではないのだ。完全に相対化し、揺るぎのない過去形で語られて初めて、何事かを語ったことになる。あくまで頭脳による認識の芸術であって、無意識的な部分ですら、認識の枠組みから過剰に逃れ出ることは、本質的にはない。それに気づいてか、「3・11から一年後」みたいな特集も組まれたが、ジャーナリズムとしては中途半端に時期外れ、文学としてもまだまだ熟成不足で、みっともないのを上塗りしたに過ぎない。
対して現代の演劇は、筋書きがあるとしてもそれはきっかけのようなもので、「そこにいること」「そこで起きること」を同時同空間で「体験すること」そのものの芸術と化しているようだ。ならば「出来事」そのものを捉えることにかけては、文学はかなわない。
佐々木幹郎の言葉が、過去のテキストなどの文脈を参照することで3・11の意味付けをしようとする、それはこれまでも様々な文芸誌で様々な文学の徒が試みた、心細く弱い発語にしかならないとわかっているものだ。対して、宮沢章夫が紹介する様々な演劇人たちの試みは、あの3・11に「起こったこと」と同じ重みをもって映る、と言ったら、語弊があるだろうか。
同じ重み、というのは、どちらも「起こったこと」としては同値と見なせる、という意味だ。つまりはそれこそが、彼らのパフォーマンスの意図するところだろう。思えばあの瞬間、日本の国土にいた一億数千万の全員が同じステージに立っていたようなものだ。あのときどこにいた、何をしていた、という問いかけで、我らは同時代というスポットライトを行き過ぎつつ生きている、と確認していたのだ。
その意味付けや物語の発生は、(何も文学者とかぎらずとも)いずれ個々の内部で、放っておいても起きる。それはむしろ止めようとしても止めることのできない、我らの分節化の始まりなのだ。
その中のどの文脈が時代を規定し、どのように歴史が形作られてゆくのか、今はまだ見守るしかない段階だ。文学者ならば、そんなことは本能的に理解してしかるべきである。それでは間に合わない、文学のジャーナリズムの都合には合わないと言うなら、この時代に「起こったこと」はまさにそんなものの無用を白日のもとに晒した、という「意味付け」をされることになるだろう。
谷輪洋一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■