山本俊則さんの美術展時評『No.010 生誕100年 藤牧義夫』をアップしましたぁ。山本さんの美術展時評はお久しぶりですが、山本さんには寺田農さんのインタビュー『池袋モンパルナスへの旅』に関連して、特別論考『池袋モンパルナスについて(前・後)』を書いていただいております。寺田さんのインタビューも山本さんの論考も、池袋モンパルナスについてほとんど何も知らなかった僕にはとても面白かったです。是非お読みあれっ!。
で、今回は『生誕100年 藤牧義夫』展の時評であります。どの美術展を取り上げるのかリストが先にメールされて来たのですが、僕はこの版画家についても知らなかったですぅ。そんだから山本さんに、僕みたいになにも知らない人にもわかるように時評を書いてくださいとお願いしました。今回、時評の間に藤牧さんの作品図版が挿入されているのはそのためです。やっぱ美術時評は、作品を見ながら文章を読む方がわかりやすいですよねぇ。
そんで、藤牧さん、24歳で突然蒸発といふか失踪された版画家さんなんですねぇ。戦前とはいえ、東京での出来事であり、当時でもかなり珍しい失踪事件ではなかったのかと思います。戦前というとすんごい昔で、文明開化が遅れた社会をイメージされている方もいるかもしれませんが、ぜんぜんそんなことはないです。そりゃあ冷蔵庫もエアコンも携帯もなかったけど、人間の心理などは、今とあんまり変わらなかったと言っていいです。藤牧失踪事件は、現在とほぼ同様の状況で起こった事件だったわけです。
藤牧さんは24歳の若さで失踪したので、作品数も少なく、長いこと忘れられていたのですが、1977年に遺作を集めた展覧会が開催され、にわかに注目されるようになりました。この時出品された作品は101点で、その多くが国立美術館などの買い上げになりました。しかし後に、真作は33点しか含まれていなかったことが判明したのです。残りの68点は、贋作と藤牧の元板に修正を加えた半贋作だったのです。
以上は僕が山本さんからお聞きした話ですが、’77年藤牧回顧展に関わった様々な方への配慮から、あまり詳細は語られていないとのことです。あらぬ推測を招いてしまいかねない贋作事件であったようです。『こういうこと、美術界ではよくあるんですか?』とお聞きしたら、『あんまりないね。事実関係がわからない分だけ、妙な噂や憶測が飛び交ってちょっと怪談みたいになってるなぁ』とのことでした。
しかしまあ、とにかく藤牧さんの作品、面白いと思います。『赤陽』は一度見たら忘れられないような迫力があります。縦41.5×横28センチの小品ですが、これでも藤牧作品としては大きいほうだということでした。