第2回『Interview of gold fishes』、寺田農(みのり)さんの『池袋モンパルナスへの旅』前半をアップしましたぁ。今回はpdf版といっしょにtext版もアップしました。また『池袋モンパルナス』とはなんぞやをお知りになりたい方のために、山本俊則さんに『池袋モンパルナスについて』という論考を書き下ろしていただきました。こちらも前半後半の2回に分けてアップします。次回、後半篇のアップは5月1日です。
ちょっと前にブログで書きましたが、文学金魚ではコンテンツにメリハリを付けるために、インタビューと小説はpdfファイルをreaderで表示しています。しかしpdfファイルはお使いのパソコン環境によって表示が不安定になることがあるようです。『pdf版』でファイルがうまく表示されない時は、下の方のURLをクリックしてください。
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『テキスト版』は通常のコンテンツと同じ表示方法ですので、どのデバイスでも問題なく表示されると思います。
で、実は僕は、今回のインタビュー原稿をメールでもらって、初めて池袋モンパルナスの存在を知りました。これも正直なところ、池袋モンパルナスなんて聞いたことがないんだから、たいした存在ではないだろうと思っていました。でも池袋モンパルナス、かなり重要ですね。これからもっと注目・研究が進むのではないかと思います。
まあ僕は、寺田さんのインタビューと山本俊則さんの論考を、もう全部読んでしまっているのですが、池袋モンパルナスには「戦争責任」と「日本の前衛芸術」の2つの問題点があるようです。第二次世界大戦中に大政翼賛会が設立されて、文学者も画家も戦争協力させられるわけですが、文学者と画家の戦争協力は同じ質のものとして考えていいのかという問題点が一つ。もう一つは日本の前衛芸術は、欧米のそれを基準に考えていいのかという問題点です。
特に僕が興味をひかれたのは「前衛芸術」の問題です。瀧口修造は画家福沢一郎とともに昭和16年(1941年)に特高に検挙されていますが、これは池袋モンパルナスのシュルレアリスム絵画展に関係していたのですね。戦後、瀧口と池袋モンパルナスの画家たちは疎遠になり、瀧口は戦中・戦後生まれの若い画家集団の指導者になるわけですが、それを僕たちは日本の前衛美術だと考えてきたわけです。しかし本当に日本の前衛美術は瀧口的なものなのかといわれれば、確かに再考の余地はある。池袋モンパルナスには熊谷守一も含まれているようなのです。熊谷は、瀧口とはまた違う意味での前衛画家です。
いずれにせよ池袋モンパルナス、面白いです。寺田さんのインタビューは画家の息子さんならではのものです。是非、読んでお楽しみくださいっ!。