世の中には奇人変人と呼ばれる方がいらっしゃいます。そういった人物造形は小説にぴったりでございますわ。小説の主人公、特に大衆小説の場合は普通の人じゃダメなのよね。多少奇人変人の方が面白おかしい小説を作りやすいのよ。友達や隣人にそういう人がいるのはあんまり嬉しくないかもしれませんが小説では welcome でございます。
二十八歳になるこの不思議な再従兄は、内面に負けず劣らず不思議な外見をしている。小顔で、色白で、指も背もすべてが細長い。いわゆる「顔が良い」と表現されるような目鼻立ちをしているが、なんというか特徴のある整い方で――大正生まれのモダンでかっこいいおじいちゃんの若い頃、とでも表現すればいいのだろうか。「量産型」という中傷に近い表現でくくられる、私の(特にコンプレックスになるような部分はないが、すべてが平均的で)特徴のない顔とは対照的と言えるだろう。
木犀あこ「玉虫色の壁紙」
木犀あこ先生の「玉虫色の壁紙」は謎解きモノです。主人公で語り手は浜辺真奈華という女の子、謎を解くのは神南木鮮で真奈華の再従兄です。この再従兄、ハンサムですがかなりの変わり者です。両親が亡くなった後の建売住宅に一人で住んでいる。家の中は観葉植物だらけ。極度の出不精で家からほとんど外に出ません。じゃあ引きこもりの暗い青年かというとそうではありません。「何を考えているかわからず、人に合わせるといった態度をいっさい見せない神南木は親族からも社会からも孤立しているようにしか見えないのだが、本人はいたって元気、いつも「毎日が楽しくて仕方がない」といった顔で笑っている」。もちろん天才的な洞察力の持ち主です。
「まず、その部分をはっきりしてもらわなければ、さっきの質問には答えられない。『玉虫色』というものが、字義通りの玉虫色・・・・・・まさに玉虫の翅の色などに見られる構造のように、光の干渉や屈折によりさまざまに発色するという意味での『玉虫色』なのか、あるいは比喩としての『玉虫色』なのか。この場合は、見る人によって解釈が異なる色を持つ壁紙、というべきものになるのだろうけど、これもまたぼんやりとした表現だね。微妙な色合いで、黄色とも緑とも言えないような壁紙なのか。陽の光によって見え方が変わる壁紙なのか。そのあたりがはっきりしないと、『あるか、ないか』なんて答えようがない。さっきの質問そのものが玉虫色ということなんだよ。わかるね」
「そんな鬼ほど言い返さなくてもよくない?」
同
神南木青年はお喋りですが極めて論理的思考能力の持ち主です。主人公の真奈華はそれを引き出す役割ですね。欧米小説・ドラマ・映画などの永遠の使い回しコンテンツ、シャーロック・ホームズのホームズとワトソン的役割分担です。日本でもお馴染みですね。東野圭吾先生の大ヒット小説『容疑者Xの献身』のガリレオシリーズも基本同じ構造です。人は超人的能力を持つ人間に惹かれるところがあるのですね。
後は肉付けの問題になります。シャーロック・ホームズ・シリーズもえっらく長く続きまして作者のドイル先生はもうこのシリーズにうんざりしていました。とうとうホームズを殺してしまったのですが読者の総スカンにあって復活させてもいます。ただホームズと相棒ワトソンの関係は影と光。ワトソンは極めて常識的。対するホームズは変わり者で孤立しています。阿片中毒でもある。ずけずけと物を言うので嫌われてもいる。たいていの人は孤立が怖いので自分がそうなるのは真っ平御免と思っていますが、小説の主人公としては好かれるんですねぇ。まあ特殊能力を持つ人なら常識外れでも許されるということでしょうね。小説内の超人は通り一辺倒の友人ではなく、深く理解してくれる友人を一人は持っていますからその方が幸せということでもあります。このパターン、どの構造的ホームズ―ワトソン小説にも当てはまります。これ自体永遠の使い回しコンテンツです。
神南木はぱりっとした髪型と服装をしている。家からはほとんど出ないのに、何に対して敬意を払っているのだろう。おそらくはただ自分のため、自分がそうありたいからやっているだけなのだと思うが。うらやましい――というより、最も理想的とさえ言えるのかもしれない。
*
傍若無人そうに見えても、神南木にはけっこう繊細なところがある。鮮兄ちゃん、隣の人に嫌われているんじゃないのかな、などと言おうものなら、二日くらい寝込むかもしれない。
同
神南木青年独自の特徴はまず自分の快楽原理に忠実ということです。傍から見るとライフスタイルは単調なのですが、本人は自分の快適さに忠実に生きていて楽しそう。もう一つは繊細さです。ホームズなどのように傍若無人ではない。意外と他者の視線を気にしているところがあります。ただそれは人間関係に限られるようで、友人や隣人などの近しい人からの拒絶にめっぽう弱いのかもしれない。これが神南木青年と真奈華コンビの物語の伸びしろということになりそうです。もちろん神南木青年は再従兄であり真奈華は子どもの頃から彼をよく知っています。二人とも若いので恋愛関係を物語に絡ませることもできるのですが、ホームズ―ワトソン構造の物語でそれをやるとたいてい失敗します。神は恋愛しないんですね。
「この事件に、本物の『怪奇』は存在していますか?」と。
あらゆる合理的な解釈をもってしても、その可能性が排除できない、本物の『怪奇』。超能力や、幽霊のたぐい。
『怪奇狩人』を名乗る神南木は、安楽椅子探偵よろしく、私がもたらす情報だけでその存在のあるなしを判定してみせる。記述する人間としての私は、その言動をできるだけ客観的に観察するだけだ。
同
神南木―真奈華コンビ一番の特徴は『怪奇』にあります。神南木は『怪奇狩人』で安楽椅子探偵です。アームチェア・ディテクティブも長い歴史のある探偵のあり方です。で、小説は超人的洞察力と論理的思考能力を持つ神南木にすら及ばない『怪奇』が世の中にあるのかという方向に向かう。それがこの小説(シリーズモノ)最大の見せ場ということになります。
ただこれはけっこう難しいですね。小説の審級が変わってしまう。でも人智を超えた怪奇が世の中に存在するならば、神南木青年はいずれ快適な我が家から出てそれに対峙しなければならなくなるでしょうね。それがこの物語(シリーズ)最大の山場になるやもしれません。
で、お作品自体の主題は「玉虫色の壁紙」を巡ります。それが何を意味していてどういう謎解きが行われるのかは実際に小説をお読みになってお楽しみください。
佐藤知恵子
■ 木犀あこさんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■