「女による女のためのR-18文学賞」発表号で広瀬りんごさんの「息子の自立」が大賞受賞、神敦子さんの「君の無様はとるにたらない」が友近賞受賞です。どちらも良いお作品でございましたわ。R-18文学賞は「応募資格」「性自認が女性の方に限ります」で「募集原稿」は「書き手の感性を生かした小説」、枚数は50枚以内です。今回で23回目ですから着々と実績を重ねておられる文学賞でございます。
ふたたび――いまになって思うのは、持ち家でよかった、ということだった。そして、男性と同じだけ稼げる看護師という職をかつて選んだこと。これには二重の意味があった。息子の性処理を母親がやっているというと、たいていの人間は嫌悪か困惑の表情を浮かべるか、凍りついてしまうものだが、看護師の同僚や友だちや医師は顔色ひと変えない。彼らにとって、曜子が息子の世話をやくことは純粋な介護にすぎなかった。息子の障碍を疑い、診断確定した瞬間から、じぶんがこれから携わるのは育児ではなく介護であると、彼女のほうもきっぱりわりきって過ごしてきたので、それはすでに常識であり日常だった。
広瀬りんご「息子の自立」
広瀬さんの「息子の自立」の主人公はシングルマザーの曜子。夫と離婚して障碍のある息子の泰隆と二人暮らしです。泰隆の障碍は比較的軽いと言っていいでしょうね。一般企業の障碍者枠で工場に就職し一日八時間働いています。暴言を吐いたり暴力を振るったりすることのない大人しい青年です。
泰隆が大人になり精通が始まると曜子は手で射精させてやるようになります。自分ではうまくオナニーできないのです。看護師である曜子にとってそれは「純粋な介護にすぎ」ません。ところが曜子の椎間板ヘルニアが悪化して泰隆の性処理ができなくなる。曜子は仕方なく二時間二万九千八百円の障碍者専用派遣風俗店に女の子を派遣してくれるよう依頼します。風俗店のサービスは本番なし、手と口を使った射精とあります。物語は派遣されてきた女の子がなんとまぁあの子なのね、という展開で進んでゆきます。
障碍者の性は重いテーマです。小説にも「障碍者の性的なケアは福祉サービスにカウントされない。自力での処理が難しく、必要不可欠であっても、障碍者手帳も受給者証も適用されず、おそらく今後もなんの補助もない」とあります。
純粋に小説技法的なことを言いますと、このテーマを真正面から扱うととても50枚程度の小説では済まなくなります。そのため語弊はありますが泰隆の障碍を比較的軽度のものにして、障碍者専用派遣風俗店の女の子やスタッフに関しても、性風俗従事者にまとわりつく淫靡さを一切排してビジネスライクに描いています。
また小説には読者が知らない世界の情報伝達という役割や楽しみもあります。物語に暗さはなく淡々と進んでいきますが、それでも多くの読者にとって未知の世界を描いているのでそれからどうなる? という興味が持続する展開です。
スペクトラム――spectrumと同じ語幹をもつものとして、スペクター、specterなることばがある。語源も同じだというそのことばの意味を知ったとき、曜子は考え込んだ。幽霊、この世のものではないひと。なのにこの世にいて、ほかのだれかをびっくりさせたり、得体のしれない思いをさせたり、例はすくないもののちょっとした幸運をもたらすこともある。だがその印象は概して暗い。泰隆は幽霊なのだろうか? わたしの息子は幽霊なの? 地上に生きているのに別の世界に生きている、と云われれば、たしかにそうかもしれない。社会的幽霊。彼はけして健常者と同じものの捉えかたや考えかたをしない。彼がどんなふうに世界を見ているか、曜子には想像もつかない。
同
泰隆の病名は自閉症スペクトラムです。また「spectrumと同じ語幹をもつものとして、スペクター、specterなることばがある」。Specterは幽霊のことです。曜子は「わたしの息子は幽霊なの? 地上に生きているのに別の世界に生きている、と云われれば、たしかにそうかもしれない」と考えます。この箇所がお作品の中で一番重いですわね。
広瀬さんが実体験に基づいて小説をお書きになったのか取材小説なのかはわかりませんが、このテーマは奥が深く人間存在の根本に関わります。禁断の扉を開いてしまったという素朴な感想もあります。でも開くなら全開に。いつか真正面からこのテーマを扱った長編小説を読んでみたいですわ。
問題なのは、五万円が大金であって、それが今では四百万を超えて、最初は封筒で保管していたけれども入りきらなくなり、封筒が小さな鞄になって、時効を待つ銀行強盗の戦利品のようなひそやかさでもってクローゼットの中に潜むのではなく、増え続ける、ということだけではないのだった。
五万という数字が、わたしをもやもやとさせるのだった。
「あの女にね、毎月五万、やってたそうなのよ」
ママではなく、おばあちゃんが言った。
神敦子「君の無様はとるにたらない」
神敦子さんの「君の無様はとるにたらない」の主人公は高校一年生の瑠璃です。父母は離婚していますが離婚時の約束で月に一度パパに会っています。会うたびにパパは封筒に入った五万円をくれる。それがどんどん増え続けています。また瑠璃をモヤモヤと悩ませるのは祖母の「あの女にね、毎月五万、やってたそうなのよ」という言葉です。父は離婚してから愛人だった女と再婚して新しい家庭で子どもももうけたのですが、愛人関係の間、女に毎月五万円を渡していたらしいのです。
また瑠璃はパパと会っても楽しくない。パパもそうです。瑠璃はパパと会うたびに「パパの務めを全うしているだけで、本当はこんなこと、したいわけではないのだろう。もしかすると一ミリぐらいは、会ってもいいかと思ってくれているのかもしれない。けれどもそれは一ミリぐらいの情熱でしかなくて、本当に、心から会いたいというものではないのだから、何も毎月規則正しくそれを実行することはないのに」と思います。
高校一年生は思春期真っ盛りです。父母が離婚していてしかもそれが父親の浮気が原因ですから、瑠璃は男女関係についてはもちろん、セックスについてもある程度考えなければならない環境に置かれています。高校生にとって毎月五万円のお小遣いは大金ですから派手な女の子になる展開もあります。しかしこのお作品では逆方向に造形されています。
瑠璃はボーイフレンドについて考えますが「彼氏はほしいとは言ってみるものの、それがどんな形であらわれて、どんなふうにやりとりがなされ、どんな発展をとげるのか、自分ごととしてピンとこなかった」。またセックスについても「一緒にいたいなと思えるひとが一緒にいてほしい、そんで、そういうこともしてもいいし、しなくてもいい。したかったらするし、したくなかったらしない、そういうのがいい」と思います。
そんな女の子だからパパから毎月もらう五万円がほぼ手つかずのまま残っていくわけです。男女関係にもお金にも興味がない純粋少女時代を生きていると言っていいでしょうね。その意味でラノベに近いテイストの小説です。最後までパパは異和。多額のお小遣いをくれるけど愛情は感じられずその内面は一切わからない。純粋少女の潔癖さが貫徹されます。
風呂に入って寝て、起きたときにはもう、母親は家にいなかった。
テーブルの上に封筒があって、二万円が入っていた。手紙の類は何もなかった。けれど自分宛てに違いなかった。母親は時々そういうことをするのだった。食費だったり、書籍代だったり、たいていは封筒に何か書いてあるのだけれども、その封筒にはなにも書かれていなかった。なんのお金であったのか、ホテルに行かせようとしてごめんねのお金か。もしホテルに連れ込まれていたら、いくら渡すつもりだったのか。その封筒をしばらく唯織は眺めた。その日学校をずる休みした。母親は何も言わなかった。
同
「君の無様はとるにたらない」に大きなアクセントを与えているのは主人公瑠璃の親友、唯織です。唯織のママは高級クラブオーナーのホステスです。瑠璃のパパへの不満を聞いた唯織はママとの関係を話します。「わたし、売られそうになったことがあるんだよ、あの人に」と話し出します。
唯織はママとクラブのお客さんの食事に何度も同席させられていました。大きな子どもがいるとお客の恋愛感情が冷めるからという理由が一つ、もう一つは唯織に新しい恋人を紹介する目的がありました。しかしある日の食事会は違っていた。食事が終わるとママは老人と言っていい客といっしょに帰るよう唯織をタクシーに押し込んだ。案の定、タクシーはラブホの前で止まった。唯織はタクシーのドアが開くと一目散に逃げ出したのでした。
女性作家の小説でセックス自体が大きなテーマになることは少ないです。そうだとしてもセックスの上位に本当のテーマが設定されている場合が多い。男は女に小さな幸福を与えそれ以上の苦しみを与える存在と言っていいでしょうね。その意味で女性小説においてたいていの男は理解不能であり神とも悪魔とも呼ぶことができる存在です。瑠璃にとってのパパも同様です。瑠璃は五万円でしかパパと繋がっていない。パパは不可知です。
しかし唯織とママの関係は違います。想像を逞しくすればママは唯織にクラブを継がせたがっているのかもしれません。水商売とはこんなものだよということを教えようとしたのかもしれない。唯織がそれを受け入れるか拒否するか見定めるためのテストだったのかもしれない。だから唯織がテストを拒否してもまったく動じなかった可能性があります。
女と男との関係は比較的単純ですが、女性同士の場合はそれよりずっと複雑です。母親が娘を自己の分身として捉え、自分の所有物のように扱うことはよくあります。「君の無様はとるにたらない」というお作品は唯織の挿話によって複雑な含みを持ちます。ラストで瑠璃はパパとの関係にケリをつけますが、唯織にママとの関係にケリをつけたらと言うと「まだいいよ。まだ無理」という答えが返ってきます。男女関係より女同士、特に母子関係の方が決着をつけるのが難しい。
広瀬さんの小説も神さんの小説も短編ですから枝葉を削ってスッキリとした展開にまとめられています。ただ賞を受賞しただけあって、どちらの小説も次の展開に繋がるような主題を含んでいます。R-18文学賞はとても良い女性作家の登竜門ですわね。
佐藤知恵子
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■