久坂部 羊さんはお医者様で作家でございます。作家略歴には「二〇〇三年、小説『廃用者』でデビュー、テレビドラマ化されベストセラーになった『破裂』『無痛』など著書多数。一四年、『悪意』で第三回日本医療小説大賞を受賞」とあります。
アテクシ、うかつにも日本医療小説大賞があることを知りませんでした。まことに申し訳ございません。最近になって文学に限らずいろいろな賞が創設されていますけど、日本医療小説大賞もぜひ続けていただきたいですわね。芥川・直木賞が有名なのは長い歴史を持っているからでもあります。文学賞って創設されても短いと数回で終わってしまうこともありますのよ。
Wikiを読むと久坂部先生は外科医で麻酔医でいらっしゃるようです。でも今回のお作品「悪いのはわたしか」の主人公は精神科医。ホームグラウンドのお話ではございませんわね。小説、特に大衆小説(エンタメ小説)では一般読者が知らない知見もお作品の大きな武器になります。で、医療関係小説でほぼ唯一医療従事者でない作家が書けるのが精神科舞台のお話です。小説は基本的に人間の内面描写中心ですから精神科と相性がいいのですわ。その意味でお医者様作家独断場のお作品ではござーません。
『深見百合子へ。
「人生の道しるべ」欄のアンタの回答、いつも感心しながら読ませてもらっている。アンタの上から目線と、高慢ちきと、無責任さにな。
アンタの回答のせいで、相談者がどれだけ傷つき、悔しい思いをしているか、考えたことがあるか』
何、これ、とわたしは上目遣いに掘さんを見た。
「先生にお見せしようかどうか迷ったんですが、こちらで保管しておくのもどうかと思いまして」
取りあえず先を読む。(中略)
相談者はもっとやさしい答えがほしいんだ。アンタの回答はいつも理詰めで、思いやりに欠け、すべて他人事で、とても真剣に受けとめているとは思えない。そりゃアンタは立派な医者で、おまけに美人で、挫折知らずで生きてきたのかもしれない。だがな、世の中の人間は、みんなアンタみたいに恵まれているわけじゃないんだ。「人生の道しるべ」はもっと弱い人間のためにあるのじゃないのか』
久坂部羊「悪いのはわたしか」
主人公は病院勤務の深見百合子。美人で高校時代はバタフライでインターハイに出場し、医者の勤務をこなすかたわら新日新聞で人生相談欄「人生の道しるべ」を受け持っています。それをまとめた著書『心の悩みの出口』はベストセラーです。離婚はしていますが子どもたちも優秀でもう自立している。挫折らしい挫折は離婚くらいで、誰もがうらやむような人生を送っている女性です。
物語は新日新聞宛てに怪文書というか、脅迫文が送られてくるところから始まります。送り主はわかりませんが百合子の人生相談の内容を批判しているだけではありません。ネットを含めたメディアにも明らかにしていない百合子の過去を知っていてそれを批判している。つまり犯人(送り主)は身近にいるということ。気味が悪いですね。
で、百合子の人生相談の回答内容です。怪文書(脅迫文)には「職場での失敗を引きずる二十代の女性には、「あなたは実に損な生き方をしていますね」と突き放し、隣人の言動が怖いという相談者には、「悪い霊が憑いているのかと疑ったりするあなたの方が怖い。隣人の生活を覗き見するのは法に触れます」と脅していた」とあります。「過食に悩む三十代の女性には、「あなたの食べたいという衝動は、別のところに原因があると思われます。それは根本的な劣等感」と決めつけていた」ともある。
アテクシ、正直なところ、怪文書(脅迫文)に書かれた百合子の回答を読んで、うーん、「アンタの回答はいつも理詰めで、思いやりに欠け、すべて他人事で、とても真剣に受けとめているとは思えない」と批判されても仕方ないかなぁと思ってしまいました。
物語は当然、怪文書(脅迫文)の送り主は誰かという謎解きに向かいます。するってぇと送り主との対決によって、精神科医とはいえ人間心理洞察の深みに欠ける百合子の本当の意味での挫折体験に向かう可能性が一つありますわね。もう一つ予想できるのは百合子温存です。
SNSを含む高度情報化社会では誰もが自己主張できます。自己発信できる。そのためマジョリティは首を傾げてもうちょっと議論した方がいいよと思っていても、声の大きい人(集団)の意見が通って現実制度を変えてしまうこともある。
高飛車な人生相談の回答って、以前はよくありましたわね。1970年代、80年代頃までのお話ですけど。当時は作家や医者が尊敬されていて、相談者も素直に忠告に耳を傾けることが多かった。要するに人生相談を受け持つ先生方に対する信頼があったから、ちょっと高圧的な回答でもよかったわけです。
しかし今はあらゆる権威が揺らいでいます。社会の閉塞感が強く不満が鬱積しているせいでもありますが、政治家の先生などは汚職や私利私欲は論外で、個人的好悪まで批判されます。まるでお釈迦様や聖徳太子のような聖人でなければいけないような風潮が生まれつつある。社会批判コメンテーターにしても、何か一つでもプライベートでミソをつけたりトンチンカンな批判をすると、即座に葬り去られてしまう。
つまり高圧的な批判者の側にも大きな問題がある。百合子の人生相談の回答は物足りないですが、それは置いといて、身勝手な批判者、怪文書(脅迫文)の送り主をギャフンと言わせる方向が予想できます。まぁアテクシはいつもそんなふうに想像しながらお作品を読んでいるのでござーますわ。でもアテクシの予想、見事に外れました。
「小松部長、わたし、変ですか」
部長は前のパソコンから向き直り、老眼鏡の奥で目を細めた。(中略)
「最近ストレスが強くて、思い通りにならないこともあるし、診療も多忙で、病院外の仕事もいろいろあって、気分転換できずにいるんです。みんながわたしの悪口を言っていて、陰であれこで言われているんじゃないかと思うと、悪いほうにばかり想像が働いて、いつも監視されているような気がするし、頭の中をのぞかれているようで、こうやって話していてもふいに考えを奪われて、何を考えていたかわからなくなるんです。わたしが何を思っているのか、部長には全部わかってるんでしょう。片桐君も知ってるんでしょう。言ってください。構いませんから。電波ですか。スプーンですか。変なささやきが聞こえると思ったら、二人で何か言ってるんでしょう」
切れ目を作らないようにしゃべる。片桐が部長にしきりに目で合図を送っている。部長はわたしの真意をうかがうよう首を傾げている。
「深見先生。夜はよく眠れていますか」
片桐が低い声で訊ねた。
同
百合子の言葉の内容は双極性障害や統合失調症の初期症状でも見られます。どちらでもありませんけど。お作品がどう落ちるのかは実際にお読みになって確かめていただきたいですが、まあこの方面に進んでゆきます。
ただこの展開、意外ではありますがあまり驚きは感じませんでしたわねぇ。なにか今ひとつトリガーが足りないような。あ、純粋読者の分際で申し訳ございません。
佐藤知恵子
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