映画化もされた『君の膵臓をたべたい』の作者、住野よるさんの短編小説「麦本三歩はイメチェンが好き」が掲載されています。何枚くらいの小説かしらねー。アテクシ、もうめんどくさくてちゃんと枚数数えるのやめちゃったのよ。でも50枚くらいかしら。70枚までいってないかなー、てかちゃんと数えろよ、ですわね。
枚数にこだわるのはこのお作品、短編とはいえそこそこ長いからですわ。でもさらっと読めちゃうのよ。純粋読者ですけど小説をいっぱい読んでると、小説って案外内容を食うものなのね、と思うことしばしばですわ。事件にせよ人間心理にせよ、そんなに枚数かけずに書けちゃうものなの。だからたーいへん僭越ですが、50枚くらいの小説でも引き延ばしてるなー、と感じてしまうこともありありでござんす。
で、住野さんの小説は、まあ言ってみればムダだらけ。でもまったくムダと感じてしまう箇所がございませんわ。流れるようなエクリチュールね。あ、ちょっと背伸びして言ってみましたまことに恐縮です。だど住野さんが超売れっ子小説家だということがよーくわかるお作品でござーます。
麦本三歩は美容室に行くたびに髪型を変える。
「嘘つけ!」と、日常の三歩を見ている人達から合唱されようとも、真実はともかく事実はいつも一つである。三歩だって襟足が伸びきった状態でそれを言うほど強昌、もとい強情ではない。あくまで美容室に行った直後の髪型、その出来上がる文脈が毎回違うんだよという意味だ。たとえ周りからはほとんど同じに見えようともだ。
住野よる「麦本三歩はイメチェンが好き」
主人公の麦本三歩は20代後半の女性。大学図書館で司書の仕事をしています。社会人ですが乙女心というか少女のような心を持っています。あ、こういう言い方は正確ではありませんね。女性ならどんなに年を取っても必ず持っている心性と言った方がいいと思います。
三歩は偶然通りかかって入店した美容室でもう4年も髪を切ってもらっています。秘かに「マスター」と呼ぶことにした中年の男性美容師の腕がいいのは言うまでもないですが、それだけではありません。マスターとしかできない会話と、そこから生じるちょっとした魔法を楽しんでいるのです。
女性は美容室に単に髪を切りに行っているわけではありません。ですから必ず髪型をリクエストします。三歩も「基本は大事に、二十代後半のエレガンスとそれでも消しきれない輝きや甘酸っぱさを、こう、お願いします」とかリクエストしたい。ハードルの高いリクエストですわね。でも、ここから小説世界が始まります。
マスターは三歩のリクエストをほぼ完璧に受けとめてくれます。初めて髪を切ってもらった時は胸の中のリクエストを言い出せず「全体的に形整えて、前髪は軽めにしてくだしゃい」としか言えなかったのですが、マスターは髪を切り終えると「図書館スタッフ一年目っていうことだったから、先輩達やお客さんから愛される可愛いニュアンスを持たせつつ、信用してもらえる説得力とそれが重く見え過ぎない軽やかさをイメージして、麦本さんが希望ある未来にスキップ出来るよう仕上げてみたんだけど、どうでしょう」と言ったのでした。
マスターは三歩が胸に秘めていた希望を何も言わずに受けとめかなえてくれた。三歩が司書として地域新聞の取材を受けたけれど動画はカットされてしまったという話をすると、マスターは「動画はそれでよかったんじゃないかな。麦本さん達、図書館の妖精の姿は館内でしか知れないっていうほうが素敵でしょ」と答えます。
マスターは三歩が妖精であることを知っています。見抜いている。もちろんそれは心の中の話です。だけどそれを理解できるのが理想の男性美容師というものです。彼とデートする前に美容室に行くこともありますが、女性はまず何よりも自分史上で一番可愛くてキレイな女でいたいから美容室に行くのですから。
もちろん大胆に髪型やカラーを変えることは少なくて、たいていは「周りからはほとんど同じに見え」る。でも「美容室に行った直後の髪型、その出来上がる文脈が毎回違う」のが理想です。女性は毎日毎日鏡を見てるのよ。ちょっとした変化で気分が上がったり下がったりするわけ。
「んなあっ!」
奇声をあげてしまいキッチンから覗き込まれる。手を振って平常運転をアピールする、と振りかえしてくれた。今が一番楽しい時期ー、はどうでもいい。三歩が見つけたのは、行きつけの美容室に最近ついた酷評レビューである。あまり頭にも思い描きたくないので、三歩は若干薄目にしてそのコメントを読む。何やら、最悪やらきついやら先にいた女性客は頭お花畑なのやらと書かれている。
同
理想のマスターと巡り会った三歩は幸運で、美容室に行くたびに前向きでいられるのですが小説ですから事件は起こります。男のトラブルでないのもこの小説のいいところですわ。女性中心小説ですもの。
彼の家に遊びに行った時に、三歩はSNSでマスターの店を酷評しているコメントを見つけます。しかもそのレビューを書いた人に思いあたる節がある。三歩が髪を切ってもらっている時に後から入って来た客の若い男の子です。ということは「先にいた女性客は頭お花畑」というのはどうも自分のことらしい。
腹が立ちますが三歩の怒りはレビューを書いた男の子には向かいません。三歩はマスターの接客が独特のものだということを知っています。以前からそれが合わない客もいるだろうと予想していた。男の子は単にマスターと相性が悪かっただけ。三歩と相性がいいのだから怒るほどのことではないのです。
ですが男の子のレビューを読んで三歩の心にもっと重要な疑問が湧きあがります。三歩が美容室のご主人をマスターと呼ぶことにしたのはたまたまスター・ウォーズシリーズのエピソード1を見て、ジェダイみたいだなぁと思ったからです。マスターは「バーや喫茶店にいるイメージではなく達人のマスターなのだ」とあります。
でもマスターは本当に達人なのか。三歩を接客している間だけそう振る舞っている上辺の達人なのではないか。三歩はそれを確かめに行きます。髪を切ってもらう予約日ではなく、落としものをしたという口実で突然店を訪れ、素のマスターを観察して自分が抱いている疑問を確かめようとするのです。
単にあの美容室へマスター達の無事を確認しに行くだけでは、マイナスな気持ちから起こした行動に貴重な休日を浪費されてしまい悔しいというか、嫌な気持ちに踊らされているようで面白くない。それに、レディの魅力は遊び心や余裕から生まれるのである。
そうと決まれば三歩は全身をブラックコーデで彩る。黒い長そでシャツに黒いスラックス黒い靴下、埃かぶらせた革靴も拭いて吹いて履く。ついでに道中ででんと店を構えるチェーンの百円ショップにてサングラスを購入し装着。かぶった黒いバケットハットのつばをくいっと人差し指であげれば、三歩のイメージする探偵ファッションの完成である。そろそろ夏の匂いも本格的になろうかって時にその格好は怪しすぎて尾行すればすぐばれる。
同
マスターが本物なのかどうか探りに行くわけですから、三歩は探偵になったつもりで「全身をブラックコーデで彩る」。こういう箇所がムダなようでぜんぜんムダがない住野さんのお作品の特徴ですわね。気分や目的によって髪型を変えるようにファッションも変える。できるだけ前向きでいられるように。パリス・ヒルトン大先生も彼女の語録で「コンビニに行く時でもオシャレしなさい。世界中のお洋服を着られるわけじゃないだから」とおっしゃっていますわ。で、マスターが本物のマスターであるのかどうかは実際にお作品をお読みになってお楽しみください。
「麦本三歩はイメチェンが好き」が女性作家にしか書けないお作品であるのは言うまでもありません。ただ軽くてスッと読めてしまいますが骨格はしっかりしています。内面描写にはこだわっていません。というか内面を外面で表現しています。髪型やファッションは外面です。それに連動して内面が語られ動くからさらりと読める良質の短編小説になっているのです。視覚的にクリアな印象を残す小説です。こういうお作品を読むと純文学的内面小説はちょっとキツイのかな、と思ってしまいますわね。
佐藤知恵子
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