歌壇を代表する商業誌の角川短歌と短歌研究について毎号律儀に取り上げて来ましたが今後はせいぜい2~3ヶ月遅れで気になる号だけ取り上げることにします。リアルタイムではなく数ヶ月遅れの方が何が行われていたのか冷静に判断しやすい面があるからです。
これまで角川短歌については109回時評を書き短歌研究は24回書きました。このくらい書けば歌壇についてだいたい分かってくるわけですが時評を始めた当初は皆目わかりませんでした。しかし大まかに歌壇あるいは今の短歌の流れが把握できたのでもう歌誌を毎号時評する必要はなくなったということです。
今の歌壇はニューウエーブを含む口語短歌全盛です。正確に言うと勢いのあった全盛期を過ぎて衰退し始めている。修辞的な新しさは出尽くしたと言っていい。口語短歌の技法は常態化して文語体と並ぶ市民権を得ました。これ以上口語短歌で歌壇を引っ張るのは危険で作家の成熟と大胆な方向転換が求められています。Nextを模索する時期です。
少し時間を巻き戻すと大局的に言えば口語短歌は塚本邦雄・岡井隆らを代表とする戦後短歌の飽和から生まれたと言うことができます。もっと遡って近代短歌から続いた文語詠嘆抒情詩の流れが飽和した時期に突如現れたと言ってもいいでしょうね。
その代表が俵万智さんと穂村弘さんです。お二人の短歌に共通するのは生の肯定です。俵さんがそれまでずっとネガティブな表現に傾きがちだった短歌であっけらかんとしたまでの生の肯定を詠ったのは言うまでもありません。穂村さんも同様で幼年幻想に基づく生の肯定がその表現の核でした。話し言葉に近い口語体が単純極まりない生の肯定表現を魅力的にした。いわゆる文体と表現内容が合致していました。
この初期口語短歌の文体と表現内容の一致はその後じょじょにズレ始めます。いわゆるニューウエーブ短歌と呼ばれる表現の多くが昔ながらのネガティブな生の否定に逆戻りし始めたのです。口語で書かれていても表現内容は古典的な文語体詠嘆表現と何ら変わらない。敏感にそれに気づいた歌人は何も表現しないことあるいは自分には何も表現するものがないことを口語の修辞を駆使して表現しようとし始めました。言質を取られるような決定的思想や感情を表現しないことにより逆説的に茫漠とした口語幻想に基づく自由な歌人という特権的位相を得ようとしている歌人も見受けられます。しかしそれが生と思想の否定系表現であるのは変わりません。
1960年代から80年代にかけて戦後前衛詩を牽引したのは現代詩でした。そして現代詩人たちは短歌より俳句の方に強い興味を示しました。なぜかと言えば俳句は非―自我意識表現であり強烈な自我意識で新たな表現を生み出そうとする現代詩人たちにとってのカウンターカルチャーだったからです。自我意識を縮退させた非-自我意識文学であるはずの俳句が前衛表現を生み出したのは驚きだった。
詩人が短歌にそれほど強い興味を示さなかった理由は単純です。短歌はわたしはこう思うこう感じるの自我意識表現であり痛切な感情の高みで鮮烈な抒情表現を生んできました。自我意識文学であるのは自由詩も同様でかつ抒情もまた自由詩の重要な要素です。つまり自由詩と短歌は自我意識と抒情両面でハレーションを起こしてしまうのです。
短歌に強い興味を示した詩人は少ないですが大岡信さんがその代表です。大岡さんは塚本さんと論争しましたが前衛短歌を評価しながら疑義を呈しています。極限まで技巧を凝らした前衛短歌は調(ちょう・しらべ)を欠落させておりそれは短歌のアイデンティティ喪失に繋がるのではないかといった議論でした。
加えて言いにくいですが塚本・岡井の前衛短歌は詩人たちから見れば現代詩の亜流に見えた面がある。現代詩を読み慣れた詩人にとってはそれほど難解でも斬新な表現でもなかった。ただ短歌が戦前の新興俳句時代から既に現代にアップデートしていた俳句に遅れて前衛短歌で現代にアップデートしたのは確かです。塚本・岡井両氏の功績は偉大でした。
喩と社会性に大きく傾いた現代短歌の飽和期である1987年に俵さんの『サラダ記念日』が刊行されたのはさらに衝撃的でした。ただし詩人にとっては塚本・岡井の前衛短歌の方が遙かに理解しやすく『サラダ記念日』は難解だった。多くの詩人が「なぜこれが」と首をかしげた。しかし前衛短歌よりも『サラダ記念日』の方が短歌の王道に即していた。
また1987年は後世から顧みれば戦後文学の終焉期になると思います。日本文学の母体である短歌は無意識的にこの時期新たな表現を生み出しました。これは自由詩にも俳句にも小説にもできなかったことです。すべての日本文学の母体である短歌文学の底力だったと言っていいでしょうね。
しかしそれは〝無意識に〟であってそれをある程度理論化したのがもう一方の口語短歌の雄・穂村さんです。彼はニューウエーブ短歌の良き理解者でもありますが忌憚なく言えば自らのエピゴーネンに対して脇が甘い印象があります。初期口語短歌の肯定性とニューウエーブ短歌の否定性は似て非なるものです。またニューウエーブ短歌の論客が論じる修辞的特徴はすでに現代詩でやり尽くされたものでありそれにすがって延命するのは難しいでしょうね。修辞を凝らしたニューウエーブ短歌はもうとっくに寿命が尽きた現代詩の密輸になっている面もあります。それではすぐに限界が来る。
さて今号は特集「『サラダ記念日』から最新作『アボカドの種』まで 時を超えて、俵万智 なぜ俵万智の短歌は長く、多くの人々の心をつかむのか」です。文学の世界では最初に決定的に新たな表現を生み出した作家は偉大です。そういった作家が出ると数十年はその作家(作品)の模倣者の群れが続く。しかし時間が経てば新たな表現のファウンダーだけが残る。俵さんはそういった偉大な歌人の一人です。
『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校
『サラダ記念日』で最もよく知られた歌ですがさすがに今回の特集で取り上げている歌人はいませんでした。もう手垢がつくほど論じられたということでしょうね。
話し言葉に近い口語体は特定の文脈に乗っていることが多い。俵さんの歌は強く物語を喚起させます。穂村さんの初期短歌もそう。物語が視覚的に絵で見える。ニューウエーブ短歌は日常的文脈を断ち切った撞着的独り言表現に近づいてゆきましたが初期口語短歌は明るく外に広がる物語性を持っていた。これは面白いことですね。
大げさなことを言えば『万葉』あるいは『万葉』以前の古代歌謡は話し言葉を繰り返すことで神話(物語)や祝詞を生み出しました。まだ文字がなかったですからね。飽くことなく繰り返された話し言葉がカタチ(定型の57577ではありませんが)を持ったのです。それは現代も同じで一つの書き方が飽きるほど反復され固定化されそれが臨界に達すると崩壊しそれと同時に新たな書き方が生まれます。
口語短歌・ニューウエーブ短歌についても同様のことが起きるでしょうね。うんざりするほと反復され固定化されてゆく。実際そうなっています。またハッキリ言えば繰り返すにつれて明らかに作品レベルが下がっている。臨界点に達すれば崩壊するでしょうが今はその途中といったところです。口語短歌・ニューウエーブ短歌はまだまだ初心者歌人には魔法の器で簡単に歌人=創作者になれるといった幻想を振りまき続けていてますからね。
しかし臨界点に達しても新たな表現が生まれるかどうかは未知数です。実際戦後文学崩壊期に俳句も自由詩も小説も新たな表現を生み出せなかった。短歌は現代文学で他ジャンルを一歩引き離しているわけですがそのアドバンテージを活かせるかどうかは歌人次第です。
高嶋秋穂
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