「没後七十年 これからの中城ふみ子」の特集が組まれています。没後七十年を機に中条さんの歌を振り返ってみましょうという特集です。今隆盛を誇っている口語短歌・ニューウェーブ短歌とはぜんぜん違う作風なので何らかの形で中条さんの歌をこれからの短歌の糧にしてみてはという意図もあるかな。
中条さんが昭和二十九年(一九五四年)に「短歌研究」第一回五十首詠の「乳房喪失」で歌壇デビューしたことはよく知られています。これもよく知られたことですが同年第二回五十首特選が寺山修司の「チェホフ祭」。偶然ですがよく出来たシナリオのようです。昭和六十一年(一九八六年)の角川短歌賞の受賞者が俵万智さんで次席が穂村弘さんだったのに似ているかな。時代の変わり目の時はそんなものでしょうね。
寺山がそれまで短歌を書いたことがなく既発表の俳句に七七を足して即席の五十首で入選を果たしたのは今では周知です。そのため中条・寺山の受賞後にしばしば短歌による自己劇化といったことが論じられました。中条さんの場合は実生活での結婚・離婚・乳癌による病臥に基づいた自己劇化です。対する寺山はよりフィクショナル。
彼は文学での立身出世を夢見た人ですがそのために短歌・俳句・自由詩・演劇(戯曲)と手当たり次第に文学ジャンルを活用しました。当時はまだ謎めいていた東北の土俗性をこれでもかと言うくらい強調もした。しかし寺山が母ハツさんに対する近親憎悪と近親相姦的なアンビバレントな感情を抱えていたのも確か。またネフローゼという宿痾も抱えていた。四十七歲で死去したので夭折と言っていいでしょうね。ちなみに中条は享年三十一歲です。
質は違いますが二人の自己劇化には戦後の精神風土が強く影響しています。一九五〇年代は敗戦からの復興期です。復員した従軍派作家たちの痛ましくも特権的体験に基づいた戦後文学に対する戦中派作家たちの反撃の時代でもありました。自由詩が牽引し短歌・俳句に強烈な影響を与えた戦後前衛文学は戦中派作家たちによる自己主張であり戦前・従軍派作家とは異なる新たな文学の創出でした。強烈な自我意識による自己主張の時代です。
中条は短歌研究特選受賞直後に亡くなってしまいます。歌壇を越えた大きな話題にもなった。目ざとい寺山がそれを利用したのは言うまでもありません。「チェホフ祭」は死の影の濃い連作です。しかしまったくのフィクションだとは言えない。寺山はネフローゼに悩まされ続けます。その夭折によってフィクショナルだった寺山短歌にも夭折歌人の特権性が附加された。
一般読者を惹きつけるのは古典から現代に至るまで魂極まる絶唱短歌です。大正から昭和にかけて斎藤茂吉「アララギ」や窪田空穂「まひる野」などが写生や自然主義に基づく生の短歌を普及させた時代がありました。しかし中条や寺山の登場によってそれが逆戻りした観があります。歌壇では塚本・岡井の前衛短歌が高く評価されますがポピュラリティの面では中条・寺山にかなわない。生の火が消える間際の輝きのような絶唱短歌は強いのです。
愛と性を赤裸々に詠む作風は、平凡を幸せと感じる人間には、かなりハードルが高い。すべてが事実ではなく、誇張やアレンジがあると知りつつも、なかなか感情移入することができない。すっかり置いてけぼりをくらっている。死を前にしての、複数の異性との大胆な恋愛には、あっぱれと思いながらも、共感することは難しい。
もし娘だったらと思うと、だいぶ厄介だが、同級生だったらと考えると面白そうではある。恋愛体質の彼女と仲良くなり、夜の街に繰り出してみたい。ホストクラブや、推し活が流行っている令和のこの時代に、中城ふみ子が舞い降りたなら、どのような歌を詠むのだろうか。とても興味深い。
「肩に乗せて」大崎安代
大崎安代さんの中城ふみ子評は率直で要点を衝いていると思います。人生の大事件とはいえ結婚・離婚・乳癌はしょせん人ごと。絶唱とはいえそこには「誇張やアレンジがある」。中条が「恋愛体質」だったのも確か。「置いてけぼりをくらって」「共感することは難しい」でしょうね。では「ホストクラブや、推し活が流行っている令和のこの時代に、中城ふみ子が舞い降りたなら、どのような歌を詠む」のでしょうか。デモシカですが興味深い設問です。
倖せを疑はざりし妻の日よ蒟蒻ふるふを湯のなかに煮て
春のめだか雛の足あと山椒の實それらのものの一つかわが子
父の匂ひ忘れし子らが窓にかけて靑き林檎に立つる齒の音
幼らに氣づかれまじき目の隈よすでに聖母の時代は過ぎて
コスモスの揺れあひに母の戀見しより少年は粗暴となりき
父の家にかくれて遊びに行きし子を待ちて出づれば黑き冬の川
子が忘れゆきしピストル夜ふかきテーブルの上に母を狙へり
遺產なき母が唯一のものとして殘しゆく「死」を子らは受け取れ
音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
年々に滅びて且つは鮮しき花の原型はわがうちにあり
スパンコールの胸に手を置きわれの言ふことはたやすく信じ給ふな
秋風に廣げし双手の虚しくて或ひは縛られたき我かも知れず
冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか
松平盟子「中城ふみ子の百首」より
中条さんは生涯の機微も研究されており作品批評も書き尽くされた感があります。ただ自己劇化の前提にほとんど徹底した他者の客体化と自己の相対化を行っています。そこにはいわゆるジェンダーも含まれる。当時の女性が置かれた社会的抑圧や母親像に強く抗っているわけではありません。むしろ受け入れそれを活用している。どこまで意識的だったのかはわかりませんが肉体的・社会的男女性差がなければ歌はドラマチックにならないと考えていた気配がある。また「秋風に廣げし双手の虚しくて或ひは縛られたき我かも知れず」にあるように型に対する強い親和性が読み取れます。
自己劇化と言っても中条さんの場合は実生活に基づいています。広義の抒情短歌です。そして抒情詩の基本は現在から過去を振り返ってそれをあたかも今現在の出来事であるかのように限界まで感情の高みに練り上げることにあります。それは明確に一つの技術です。これをやると作品は閉じる。独立性の高い作品になります。それが絶唱として受け取られるかどうかはまた別の問題です。絶唱と言っても歌人が生きている間に書いたわけですからね。
友だちの差別語に気づいたときはドン・キホーテの細い通路
梨の皮を剥くようにして美容師がクロスをはずす 雨音に気づく
夏のこと思いだそうとするたびに補聴器センター、珈琲が香って
わけもなく美術館にゆく午後にヘルプマークの赤よ まぶしい
難聴者として生きると決めた日とかないよないけど 夜の歩道橋
つぎの夏は月の色した補聴器をつけて浜辺を駆けよう、とおもう
渓響「として生きる」第3回 U―25短歌選手権 優秀作品
今月は「第3回 U―25短歌選手権」発表号で渓響さんの「として生きる」が優秀作品に選ばれました。渓響さんは難聴者のようでそれが連作のテーマになっています。ぜんぜん関係ないですがわたくしも難聴であります。右耳がまったく聞こえない。左耳も年々聴力が衰えています。昨日電車に乗っていたら近藤マッチを起用した日本耳鼻咽喉頭頸部外科学会の広告が貼ってあり「「聞こえにくさ」を放っておくと、認知症やうつ病、社会的孤立、就業機会の喪失につながる」と書いてあってそーかーとショックを受けました。難聴もなかなか大変なのであります。わたくし二回手術しましたが治りません。
で渓響さんの短歌ですが時代が違っていればまったく違う短歌になったような気がします。一番気になるのは「夏のこと思いだそうとするたびに補聴器センター、珈琲が香って」のようなはぐらかし。歌が一首で閉じていない。またこの手法は口語短歌・ニューウェーブ短歌ではほとんど文法のように確立されてしまっている。お気に染まない作品を引用してしまったかもしれませんがご容赦を。
ただ口語短歌・ニューウェーブ短歌は全盛のようで行き詰まり始めている。こういう時は寺山的な機を見るに敏な作為があってもいい。大勢に抗うような逆張り歌人はいなかったのかな。それとも優秀作のレベルに達しなかったのかな。余計なことを書きました。
高嶋秋穂
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