ダーッと巻頭から作品を読んでいて「口語短歌が多いな」と思っていたら短歌研究誌でした。角川短歌を読んでいると思い込んでいたんですね。他意はありません。まとめて時評を書くので混乱したのです。ただ短歌研究誌は伝統短歌に目配りしながら口語短歌・ニューウェーブ短歌に理解の深い雑誌です。若手歌人にとっての希望の光ですね。
まつさらな頬を光らせギャングスタになれざる君が連行される
罪状はしらゆきなれば淡々と読み上げられてゆく逮捕状
陽を受けて輝きやまぬ権力の色たしかなる警察手帳
ウインドウ越しに手錠を見せながらぺこりと詫びて君が詩になる
ちんまりと雪の残れるさみどりの山を見上げて君しづかなり
殉教者めいた笑顔で首を振るおまへのために吹け、からつ風
「おともだちですか」と問はれ「はあ、はあ」と答へてをれば荒くなる息
ほんたうは好きですだとか叫んだらすべてが嘘になればいいのに
黒ぐろとゆれる瞳を伏せてのち「ごめん」と言ひて連れ去られゆく
作品三十首 小佐野彈「君が詩になる」より
小佐野彈さんの連作「君が詩になる」三十首の冒頭九首です。実体験なのかフィクションなのかはっきりしたことは言えないですが作品を読む限り友人が逮捕されたことを題材にした歌です。実体験だとすればなかなかない経験ですね。
小佐野さんは短歌と小説を書いておられます。すべてではないですが小説も何編か読みました。素朴に「次々事件が起こる作家だなぁ」と思います。もっと正確に言えば日常生活で起こる出来事を事件化するのがうまい。短歌でもお祖父様が亡くなった際の社葬やスキーで骨折したことなどを歌にしておられる。今度は友だちの逮捕かぁと思ったのでした。
この日常の事件化は小佐野さんがゲイを公言しておられることにも関係しているのかもしれません。小説も基本私小説系です。作家にとってはなかなか苦しい表現にならざるを得ないですが文学としての評価は別です。日常の事件が文学になる勘所を抑えておられる。「君が詩になる」連作は文字通りそうです。テニオハの修辞は基本伝統短歌。口語短歌どっぷりではありません。そして内容は日常であり告白体でもある。小佐野さん独自だと思います。
なつかしい潮の匂いに錆びていく「ききわけのいいおんなのこ」の名
だれとでも交換可能な丸石になれるよう波に洗われていた
絡まってふつりと切れた黒い髪 わたしになんてならなくていい
作品二十首 塚田千束「花を刻む」より
片耳しか聞けなくなったイヤホンでやっと正しい一人用となる
私の名前で私の何かが分かったりしなくてだから微笑まれても
墓ってほどの墓はいらない 棒倒ししたねいつかの夏の砂山
作品二十首 ショージサキ「脳内植物園」より
しないのに寄ったコートでバスケットゴールの網に触れようとした
百均の洗濯ネットにゆるい矢のイラストなにを狙っているの
これは無理だろってとこのすり抜けかたを猫から習うのはむずかしい
作品二十首 平安まだら「金髪のガンガゼ」より
タイプする指の動いて降り積もる文字が意味してゆく平叙文
いま、孤独・孤立は社会全体の問題として、港の光
責任の破片がきれい 噴水を見ながら食べるチョコミントアイス
作品二十首 佐クマサトシ「pseudo」より
巻頭の「7月新作短歌集」から四人の歌人の皆さんの口語短歌三首です。それぞれ工夫を凝らしておられ限定された技法の中で完成度の高い口語短歌です。ただ申し訳ないのですが似たような表現が並びます。
塚田千束「だれとでも交換可能な丸石になれるよう波に洗われていた」にあるように自我の輪郭が薄い。強烈な自我意識を持てない苦しさがあります。そして佐クマサトシ「いま、孤独・孤立は社会全体の問題として、港の光」にあるようなはぐらかし。「港の光」を拡大解釈してこの歌には無限の広がりがあると評釈できないことはないですがそれはちょっと無理筋です。問題提起してもそれを引き受ける自我が不在です。茫漠とした表現に逃がしてやっている。これも申し訳ないですが引用した短歌が現在の口語短歌のアベレージ的表現だと思います。
もちろんアベレージ的表現になってしまうことを多くの歌人が気づいておらると思います。作家は自分本位ですからそこからなんとか頭一つ抜け出したいはずだと思います。それには小佐野彈さん的な日常の事件化がそのヒントになるかもしれません。
直喩や暗喩と言わなくても喩的な表現がほぼ限界に達しているのは確かだと思います。リアルな現実の手ざわりを残したまま従来とは違う形で作品に取り入れる方法が一つの突破口になるかもしれません。小佐野さんの短歌にいつも具体的な人名や地名や社名が現れるわけではありません。しかし現実の手ざわりのの中から〝わたしは何者なのか〟という問いが発せられる。一つの社会性の奪還方法だと思います。
その昼の中に眩しい一室の、生活の、起き抜けの風邪だった
そのまま寝転んでいるうちに窓からの陽射しが天井に差し掛かる
すれ違いきるまではやい自転車の音声をゆるく耳に残した
決めたのは公園を通って帰ること、とても良い思いつきだと思う
どこにでも光は届くものだけど秋には乾ききる用水路
風邪なのに絆創膏も買っている 暮らしは上々に続くもの
短歌研究新人賞 受賞作 工藤吹「コミカル」より
今月は第六十七回「短歌研究新人賞」発表号で工藤吹さんの「コミカル」が受賞なさいました。内面表現をギリギリまで抑えた一種の写生短歌だと思います。口語短歌もここまで来ているのかと思います。「風邪なのに絆創膏も買っている 暮らしは上々に続くもの」という歌は文字通りの表現内容です。将来の不安を先取りしているわけですが大事には至らず淡々と生は続いてゆく。まとまりのある連作ですがフラストレーションが溜まりやすい書き方かもしれません。もちろんこれから様々に展開してゆかれることと思います。
高嶋秋穂
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