特集は「生誕一〇〇年 玉城徹の〈問い〉」です。玉城さんは大正十三年(一九二四年)生まれ平成二十二年(二〇一〇年)没。享年八十六歲。最終学歴は東大(帝大)美学卒。お父様はマルクス経済学者で戦前に治安維持法違反で検挙された方でした。玉城も戦後に共産党に入党したことがあります。短歌の師は北原白秋。ザッと略歴をおさらいしただけでも一筋縄ではいかなそうな雰囲気が漂います。
玉城さんのそれほどよい読者ではないのですが歌論は否定型が多いですね。もうちょっと正確に言うと短歌王道の告白調に対する違和感をお持ちでした。歌で一般的な生活詠(日常短歌)にも否定的です。では観念化の道を進んだのかというとそうでもない。戦後前衛短歌に対しても否定的。現実と観念の微妙なバランスを良しとした歌人だったように思います。独特の美意識をお持ちでした。
いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅
太陽の青き破片のごとき魚そらにうたふを今朝はきくべし
神の血のしたたるごとし対岸の空ひとところ黄にかがやきて
ふくらみて絶えず震へるごとき月麦刈りしあとの畑の夜空に
たかむらや澄みし夜空を超ゆるもの熱き尾鰭にわれを撲ちしか
恩田英明さんが玉城徹「百首鑑賞」を歌集の刊行年代順にまとめておられます。引用は作家の資質と文学の方向性が出やすい第一歌集『馬の首』からです。いずれも観念的な歌です。「魚そらに」「対岸の空」「月」「夜空」と天上へ向かう精神が描かれています。
こういった歌は自由詩の手法を援用したものだと思います。自由詩は形式・内容面で一切制約がない詩ですがそれを統御するのは作家の観念です。典型的なのは「いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅」でしょうね。「貧しき路」に雅な「白梅」が対比されているわけですがそこに「神の遊びのごとく」という形容が付く。この神は一応は日本的な神と受け取ることができますが本質的には抽象です。「神の血のしたたるごとし対岸の空ひとところ黄にかがやきて」を読めばそれがわかります。人智を超えた抽象的至高神です。
短歌で抽象的観念を表現する場合は上の句と下の句を対比させるのが一番効果的です。「ふくらみて絶えず震へるごとき月/麦刈りしあとの畑の夜空に」といった形になります。現実描写ならこの歌は「麦」が「震へ」なければならないですがそれを「震へるごとき月」にして「麦刈りしあとの畑」と不在の麦を対比させています。様々な読解が可能ですが猥雑な地上が清潔とも空虚とも呼べる無になれば天の月は震えるといったところでしょうか。この震えは恐怖とも新たな創造とも捉えることができます。
ただ短歌で自由詩的な観念の統御点を表現するのはなかなか難しい。理由は簡単です。短すぎる。
原爆を投下せしアメリカの卑劣なるこの沈黙を見るべし世界も
ヴェトナムの雨季攻勢のたたかひを思はんとすれどおもひみがたし
軽率かに白き一員と言ふべしや原爆を投下せられしわれら
サッダーム・フセインに死を――しか言ふ者の、声あり。顔を挙げて対はず
同胞のいのち切り捨て逃げまどふビンラディンとはいかなる者ぞ
戦後から現代に近いところまでの玉城さんの社会詠です。歌で高い観念性を表現しようとした歌人ですがそれが現実に触れると案外平凡な作品になってしまいます。壮士調というか悲憤慷慨調ではあるのですが大きな社会的事件が起こるとアマチュアからベテラン歌人までつい書いてしまう平凡な時事詠だと言っていいでしょうね。誠に僭越ですがこのあたりが玉城さんの歌の弱い所ではないでしょうか。
歌は天上的観念を求める。しかし現実社会に触れると天上的観念は跡形もなく霧散してしまう。そこに玉城さんが「あれでもないこれでもない」的な否定形の歌論を書かざるを得なかった理由があると思います。天上と地上がうまく繋がらない。
またこの天上と地上の乖離が玉城さんが生涯山崎方代を盟友とした理由でしょうね。方代短歌は極小的生活詠です。中途半端に天上や地上を詠む歌にしばしば紛れ込む嘘がない。むしろ極私が極大に繋がる可能性を秘めている。歌の嘘を嫌う玉城さんが戦後前衛短歌を評価しなかった理由でもあります。玉城さんの観念軸は高すぎ純粋すぎる。現実と交点を見出せずに孤立しています。
海ばらは白波たてり双ぶごとあひ背くごと限りも知らに
また一つ乳のしづくのすべるごとユリカモメ飛ぶ朝のくもりを
瑕のごと冬青空にはるかなる影あらはれてはや跡もなし
石もて彫りたるごときはくれんの玉のつぼみの恋ほしきものを
生きの身はいまだも若く清き湯を浴みつつありきしばらく思へば
晩年になっても玉城さんの観念(天上)志向は一貫しています。その観念が何を目指しているのかは相変わらず今ひとつハッキリしません。ただ具体的な現実描写によって観念が表現されているので歌は落ち着きのあるものになっています。観念と歌(短歌形式)との間でそれなりの折り合いがついたということでしょうね。もしギリギリと観念を探求し続けていれば絶唱短歌と同様に歌の数はもっと少なくなったはずです。至高の観念表現は一首でじゅうぶんですから。
また「生きの身はいまだも若く清き湯を浴みつつありきしばらく思へば」にあるように観念系の詩人は老いるのが難しい。いつまでも若い。それは塚本や岡井さんと共通しています。観念志向は必然的に作家の生活(日常)を切り捨てる面があるからです。しかし頑固に自らの表現主題を追い求める歌人はいつの時代でも貴重です。どんな書き方を選択しようと得るものと失うものがあります。
高嶋秋穂
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