パリオリンピックが始まりましたね。たまたまテレビをつけたら柔道家の阿部詩選手がウズベキスタンの選手と対戦していました。前回東京大会で金メダルに輝いた方なので多分勝つんだろうなと思って見ていました。
ところが見事な一本負け。あーオリンピックって魔物が潜んでるんだなぁ気の毒にと思ったのですが畳を下りてからの号泣に驚きました。まあ見事な泣きっぷり。誤解を招くような言い方しかできませんが惚れ惚れしました。
スポーツ選手が悔し涙を流す時は我慢しながら嗚咽することが多い。テレビ中継されている場合はなおさらです。でも阿部選手は全身全霊で泣いておられた。『古事記』素戔嗚尊の「其の泣きたまふ状は、青山を枯山如す泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき」という記述を思い出してしまった。その記述がリアルに感じられた。『古事記』では「悪ぶる神の音なひ、狹蠅如す皆満ち、万の物の妖悉に発りき」と続き伊弉諾尊を怒らせてしまうのですが阿部選手の泣きっぷりは厄払いを思わせるくらい突き抜けていた。いろんな意見があるようですが初めて泣く行為・泣く人そのものに強く心を揺さぶられました。
3から5、5から10へと増えてゆく酸素の意味を理解する朝
「お父さん万智やで」としか言えなくて「やで」ってなんやと思う枕辺
とりどりの棺そろえしカタログに子どもサイズのもの一つあり
モノとして焼かれるという現実をカサブランカがふわっと隠す
心って燃えるんだっけ骨となり箱詰めされてゆく白き父
我よりも我の短歌を暗唱しその短歌ごと消えてしまえり
死の朝に握り返してくれた手は花だったそして言葉であった
父逝きて初めての雪 思い出し泣きという語の辞書にはあらず
大谷が結婚しても藤井くん負けても真顔のまんまの遺影
苦しみに「ワシの」とつけて戦った父の孤独に線香を焚く
音楽が世界に色をつけてゆくことを知る朝、水をやらねば
父の死を美化して語る母といて書き割りのような今年の桜
俵万智「白き父」作品二十首より
5-6月号は「300歌人の新作作品集「2024年のうた」」の作品特集です。俵さんの「白き父」はお父様の臨終から葬儀までを詠んだ連作です。「父逝きて初めての雪 思い出し泣きという語の辞書にはあらず」に〝泣く〟という言葉が現れますがもちろん阿部選手のようなストレートなものではありません。文字表現は〝遅れる〟からです。この〝遅れ〟をどれだけ的確に表現に活かせるのかが作家の力量です。
親の死という重大事を見事な遅れとして捉えた歌は「大谷が結婚しても藤井くん負けても真顔のまんまの遺影」「父の死を美化して語る母といて書き割りのような今年の桜」の二首だと思います。思い出や出来事の描写ではなくお父様の死が抽象レベルにまで昇華されています。俳人の秦夕美さんに「遺影には遺影の月日金魚玉」がありますが俵さんとは逆の遺影の捉え方です。ただどちらも亡き人の遺影が空虚の焦点となって生の時間が過ぎてゆく。
こういった歌は表現というものを考えさせます。俳句は死んだように現世を表現する芸術ですが歌人は表現の上で決して死ぬことができない。必ず生の側に立って歌を詠まなければなりません。ではどの歌人も俵さんのように詠めるのかというとそうではありません。ある書き方を選択した歌人には詠めない。現代詩の詩人たちが悉く近親者の不幸を作品にできなかったのと同様に選択した書き方がそれを許さない。それでも構わないと言うならよほど魅力的な書き方の枠組みでなければなりません。
たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
河野裕子『桜森』
新作特集なのですがスペシャル企画も掲載されていて千葉聡さんが「短歌アンソロジー「このまち五十首」」を編纂しておられます。俳句でもおらが故郷を詠むと秀作が生まれやすいのですがアンソロジーに掲載された歌も秀逸な作品が多かった。ただその中でも河野裕子さんの一首はパッと目が止まるほど光っていた。
もうどなたか評釈しておられると思いますが近江は今の滋賀県ですから琵琶湖があります。天智天皇が即位した大津宮が置かれていたこともあります。天智は斉明天皇の皇子として百済出兵を行いましたが白村江で新羅軍に大敗してしまいます。飛鳥から大津宮に遷都したのは唐・新羅連合軍の侵攻を恐れたからだとも言われます。聖武天皇の紫香楽宮以降は都が置かれることはありませんでしたが近江は大和朝廷の要衝で様々な事件がこの地で起こりました。
「真水」「しづもれる」「昏き器」「近江」と流れるようなそして意味が何重にも重なってゆくようなこの歌はやはり見事です。
高嶋秋穂
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■