林あまりさんが月替わり連載で寺山修司を取り上げておられます。見開き2ページのエッセイで本格的な寺山論ではないのですが寺山短歌がお好きなようです。林さんは大学で教えておられますが冒頭で「毎年(授業で)「寺山修司の名前を聞いたことのある人は?」と聞く。二十年前は、半分以上が手を挙げた。その後はだんだん減って、今年はついにゼロだった。もちろん、知っていて挙げない人もいるだろうけど」と書いておられます。
これは感慨深いものがありますね。一時期の寺山人気はスゴかった。もちろん今でも根強いファンがいるわけですが文学に興味がある学生の中でも寺山の知名度は下がっているようです。マンガやゲームなど質の良いエンタメ兼教育コンテンツがいくらでもあるわけですから文学人気が低くなるのは当然でしょうね。
寺山さんが「職業寺山修司」と言っていたのはよく知られています。いろんな含みがあります。寺山は歌人・俳人・詩人・童話作家・劇作家・競馬評論家でした。ほかにも手がけているかもしれません。戦後文学がまだ活気のある時代でしたから原稿料で稼がなければ主宰劇団の天井桟敷を維持できなかったという面があります。自分でもいったい何屋だろうという瞬間はあったでしょうね。寺山さんの墓が本のオブジェの形になっているのもよく知られています。
「職業寺山修司」には寺山さんが極めて俗な目立ちたがり屋と言いますか文学の世界での立身出世を目指した人だったという意味もあります。それを隠そうともしなかった。高校時代から寺山と京武久美主宰の俳句同人誌「牧羊神」同人だった俳人の安井浩司は手厳しいことを書いています。
歌歴皆無――そうだった。寺山はそれまで俳句にのみ夢中だった。たまに短歌を書いたかもしれないが、それは投稿用の俳句の焼き直しだった。彼は青森から上京したばかりの大学生で、詰襟の学生服を着ていた。私達俳句仲間はよく有楽町や日比谷公園で会ったが、或る日、第二回「短歌研究」五十首応募の情報を、しかもそれが新人賞に近い性格のものであるということをいちはやくキャッチした彼は、それを狙うんだと息巻いていた。
まさかの一位特選に私は唖然とした記憶がある。寺山一流の《術》に現代歌人がやすやすとひっかかった、と咄嗟に思った。それもそのはず、彼が日頃書いている俳句のフレーズがそのまま継ぎ足しされ、短歌形式の体はしているものの、どれも何処かで聞き覚えのある俳句であった。要するに一夜漬けの短歌であり、これは後で俳句形式と短歌形式の相違の問題にまで発展したが、彼はそこで短歌を書こうという発心よりも、若き日にありがちな「特選」が欲しかったのである。又そういう「巻頭」や「特選」を掌中に納める熱意と《術》は、その頃から同世代の誰よりも抜群であった。
安井浩司「詩歌、俳句における寺山修司」
何の打算もなく付き合った若い頃の友人の人物評は的確なものです。寺山が手っ取り早く人生のあるいは文学の世界での「巻頭」や「特選」を欲しがった作家なのは間違いないでしょうね。「牧羊神」は通読したことがありますが恐るべき早熟の文学青年です。寺山に『われに五月を』の作品集がありますが大学入学直後の五月に当時の日本で一番才気があった若者は寺山じゃなかろか。ただその後伸び悩んだ。寺山文学はハッキリ青春文学です。青春文学を生涯使い回した。
じゃあそうだとして寺山さんの同世代でも友人でもなかったわたしたちがそれに眉をしかめるのかというとそうでもない。たいていは「寺山ってそこが面白いんだよ」になってしまうでしょうね。
短歌の世界ではいまだときおり寺山短歌が取り上げられます。しかし俳句や自由詩の世界で寺山の名前があがることはめったにありません。演劇では天井桟敷の流れを汲むアングラ劇団(今は小劇場かな)が寺山戯曲を上演することがありますが唐十郎やつかこうへいらの戯曲に比べると上演数も評価も低いんじゃないかな。一方で海外での寺山人気はやたらと高い。日本人が見てもエキゾチックな映画『田園に死す』などの影響です。舞台と違って映画は何度でも上演できますからね。まったく勘がいいと言いますかこすっからいと言いますか。転んでもただでは起きないのが寺山修司というお方です。
また寺山さんは恐ろしく顔が広い。石を投げれば寺山をよく知る人に出会えるほど。先頃お亡くなりになった山田太一さんは早稲田大学時代からの友人ですが「勝手に人の家に上がりこむような寺山の前衛劇は嫌いだ」と仰っていました。ホームドラマの大家だから当然ですね。では寺山が嫌いだったかというと「あれはあれでいいんじゃないか」。
谷川俊太郎さんは晩年の寺山と当時目新しかったビデオレターの交換をしておられました。その中で寺山が「僕は詩だけはダメだったなぁ」と言ったのに対して「詩だからダメなんだよ。型がないから」と手厳しいことをピシャリと言っている。でも寺山の臨終に立ち会っておられます。寺山について聞くとやはり「あれはあれでいいんじゃないか」。寺山さんには誰もが点が甘い。
馬場あき子さんは「寺山は女をあまり信用してなかったわねぇ」と仰り写真家の荒木経惟さんは「写真を撮りたいって言って弟子入りして来たよ」。まあどこにでも顔を出すと言いますか一流どころを見分ける勘が鋭いと申しますか。
伝説にも事欠きません。覗きで何度も捕まっているのは別として寺山さんが九條今日子さんと結婚してからお母さんのハツさんが二人が住むアパートに付け火をして騒ぎになったのは有名な話。天井桟敷の跳ねっ返りがライバル関係にあった唐十郎状況劇場の開演日に葬式花輪を送って乱闘にもなっていますね。唐さんは寺山さんを兄貴と慕ってましたけど。今は人形作家で知られる四谷シモンさんが当時は状況劇場の花形役者の一人で報復にハツさんがオーナーの喫茶店の大きなガラス窓に椅子を投げつけて粉々にしたという話もあります。ガラスが割れて崩壊するのがとても美しかったとか。ウソみたいですが証言者がいますから実話です。
で何が言いたいのかといいますと虚心坦懐に言って寺山の自由詩のレベルは低い。詩集は厳密には『地獄篇』一冊になるでしょうが最初から最後まで独自の詩法を確立できていない。苦しまぎれのコラージュです。俳句も見るべきものがない。演劇は後発の唐十郎の方が上。寺山さん唯一のテーマは実母ハツさんですからそれを題材にするとそこそこの劇になる。イラストレータの宇野亜喜良さんが「新宿版千一夜物語」のラストで主人公が「ハツハツ」と言いながらオナニーするシーンがあってあれはスゴイと仰っていましたが定稿の戯曲ではそのシーンはない。母のテーマにも肉薄しきれなかった気配があります。
というわけで文学者としての寺山は短歌界に引き受けていただきたい。
マッチ擦る束の間の海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はあり
寺山という人を考えると嘘くさいけど名歌。寺山が祖国を憂いていたわけがない。しかし俳句や自由詩ではこういった〝結果〟は出せない。ウソも含めてその人の自我意識表現という短歌ならではの作品ですね。
高嶋秋穂
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