新人賞はなかなか難しい制度で栄誉です。応募する側から見ると選考委員の先生方は神のようですが内実はそうでもありません。作品集一冊上梓した作家でもその全体像を把握できないことはあります。ましてや数十首で優劣を付けるのはなかなか勇気がいる。これでいいのかなと迷いながらになるのは当然です。
もちろん腰を抜かすような優れた作品があれば話は別です。でも過去の選評を振り返ればそんな作品はほとんど存在しなかったと言っていい。プロなら「この作品は新しいかもしれない」という予感を抱くことはあります。しかし手放しで絶賛されることはまずない。新し味があって力があると感じても半信半疑が普通です。
なぜなら新人賞はプロ作家の登竜門でありプロは常にNEXTに晒されているからです。作品を書いてしまったらすぐに〝次〟がプロ作家です。新人賞はプロ作家のスタートラインに作家を立たせるための賞ですがNEXTがあるかどうかはわからない。新人賞受賞で力尽きるかもしれないし作品集一冊で終わりかもしれない。最初の作品集が斬新でも三冊目くらいで翳りが見え四冊目からマンネリになる作家も多い。新人賞受賞作家がプロの敷居を越えられるのかどうかは未知数です。
紙の商業誌や同人誌が盛んだった頃には「三号雑誌」という言い方がありました。意気込んで雑誌を創刊すると三号くらいまではやりたいことがある。作家にも書きたいことがある。でもだいたい三号分で尽きる。作家の作品集も似たようなもので四冊目くらいが最初の正念場になる。ここを乗り切れなければたいていの場合その後下降線を辿ります。変化を起こさない作家に読者は付きません。同じ事を衰弱しながら繰り返せば読者の数がじょじょに減少してゆくのは当然です。
応募する側から言えば新人賞は応募したからには受賞したい。いや絶対受賞しなければならぬと覚悟を決めなければ佳作にも届かないでしょうね。なんちゃって応募は一瞬で見抜かれる。しかし真剣な作家でも徒手空拳で言語表現はできませんから誰もが多かれ少なかれ傾向と対策を練ります。〝新人〟なので新し味も必須。これも傾向と対策に入ります。安定した作風で新し味があれば予選レベルは通るだろうという傾向と対策は立てられます。問題はその先。
短歌は今口語ニューウェーブ系と伝統系が仲良く混在しています。両方を読者が納得する形でうまく使い分けている作家はほとんどいません。まあどちらかに色分けされる。どれを選ぶかでまず岐路があります。それにより書き方も表現内容も自ずと制限されますから。その上で作家独自の新し味が必要。
テーマ的な新しさで行くのか作家個人の実生活に基づく新し味で行くのか。はたまたアクロバティックな修辞を多用するのか。無理をすれば作品の統一性が崩れる。でも無理をしなければ平凡な作品になる。そのギリギリのところで表現に折り合いを付けることになります。当たり前ですが作品を仕上げなければ新人賞に応募することすらできませんからね。書かなきゃ何も始まらない。
見下ろせば飛行機雲はかりそめの分断線を地上にし引く
工藤貴響「injustices」受賞作50首より
連作でも作品集でも同じですが巻頭首は全体を表象している場合が多い。工藤貴響さんの「injustices」受賞作50首もそうです。この連作は「分断」を主題にしています。では「見下ろせば」「地上」という高みが表現されているのかが次の評価ポイントになります。
遅れ出すことばの韻きのぼらせて氷河の水を空港に買う
割れ落ちし窓のガラスに青空は掃き寄せられて銀行のまえ
用水はそそがんとして側溝に流れぬ黄葉のいろの鮮やぐ
にんげんの飛びて曳きゆく雲の尾のかずかぎりなき夕映え迫る
翻訳は諦めたれば見下ろせりくれないつよき棘の根元を
同
工藤さんはパリ滞在中に作品をおまとめになったようです。外国で日本語――しかも日本文学で最も古く伝統ある短歌を書くのはなかなか大変だと思います。「遅れ出すことばの韻きのぼらせて」にあるように日本語は「氷河」のように冷たく固く感じられるでしょうね。
ただ「割れ落ちし窓のガラスに青空は掃き寄せられて銀行のまえ」のような歌が実景描写なのかはたまた実景を抽象化した具象でありエトランジェである自己の表現本質に迫るものなのか今ひとつハッキリしません。「翻訳は諦めたれば」にあるように赤い血を流すような棘として日本語表現はあるのでしょうけれど。
夢の模型つつみて肩に背負いゆくエッフェル塔売りアフリカより来て
スプレーの太き噴霧にすみやかにINJUSTICEと男は書きぬ
postdocになるためにわが地下に来て書きつぐ論は終りを見せず
マグレブ系青年ひとりのみ呼びて身体検査を車外に始む
内陸のアフガニスタンより遠くきて魚屋となる青年ムスタファ
同
連作の半分近くはパリの風景や人物描写で占められています。なるほど題材的な新し味はある。しかしちょっと物足りない。連作タイトルは「injustices」で「スプレーの太き噴霧にすみやかにINJUSTICEと男は書きぬ」が表題作になります。男が書いたのは「INJUSTICE」で連作タイトルは複数形なので連作短歌全体がinjustices=不正の数々をテーマにしているのでしょうね。だけどその核が今ひとつ判然としない。虐げられる移民・不法移民たちへの同情なのでしょうか。それともエトランジェの自己が抱く不正や欺瞞や懐疑なのか。
手にしぼるスケソウダラの切身より死後の氷晶ほどけて流る
同
連作では終わりの作品も重要です。必ずしも連作最後でオチというか圧を高める必要がないのは言うまでもありません。短歌連作でも小説でも同じですがクライマックスは作品半ばくらいにある方がスマートです。実際「injustices」連作では表題作は半ばくらいに置かれている。
ただ連作を通読してもパリが題材なのかパリ在住のエトランジェの言語表現がテーマなのかちょっとわからない。もちろんこういったテーマも必須というわけではありません。しかしもうちょっと圧を高めて欲しかった。妄言多謝であります。
高嶋秋穂
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