馬場あき子さんの全歌集が上梓されて一年経ちその特集が組まれています。『馬場あき子全歌集』は重版にもなっています。馬場短歌への注目度の高さがわかります。
迷いなき生などはなしわがまなこ衰うる日の声凜とせよ
『ふぶき浜』
どぜう呑む鶴気高くもあらざれば相あはれみてしばらくを見つ
『葡萄唐草』
ははの世に肱笠雨といひしものきららに虹を立てながら降る
『飛種』
石榴もつと太れ太れと鳴きてゐし蟬みな落ちて石榴太れり
泣きいさちひとひを猛る地ふぶきの蔵王は夢に入りて言問ふ
『九花』
きげんよきわれのひとひの声澄みてどうもどうもといひて暮れたり
『鶴かへらず』
人間に合格すること難ければ人はいろいろなものに合格す
どうもどうもと言ひて別れぬ歯切れよくさやうならとは近頃いはぬ
本人であること証明できぬまま私は誰でもない自由得る
ジャングルジムに上りうるわれを人気なき公園にためすあつぱれの秋
馬場あき子作品「日頃の愛誦歌」伊藤一彦選
特集では伊藤一彦さんが聞き手のインタビューも掲載されています。引用は伊藤さん選の「日頃の愛誦歌」。比較的素直な歌を選んでおられますが馬場短歌には意外な転調や反転も多い。どこに連れて行かれるかわからない歌も馬場短歌の魅力です。
伊藤 「五七五七七」を単なる道具と思っていると韻律がなくなるんですよね。そうではなくて、「五七五七七」は生きた器なんですよね。
馬場 そうです。そうです。字数としてはかなり多いものも、短歌の韻律が体に入っている人は「五七五七七」で詠めるのよね。不思議と。
伊藤 馬場さんが牧水の歌集『みなかみ』について講演なさったときの内容でよく覚えているのが、「破調や自由律の歌があっても、対句やリフレインを使って韻律を失わないように防護している」と仰っていたこと。印象的でしたね。やっぱりそういう工夫をしないとですね。
馬場 散文になってしまうものね。韻律についてさらに言うと、口語と文語の問題。これはあるときから「一緒に使っていいんだ」と思うようになりましたね。
伊藤 それは我々の世代は馬場さんから、かなり影響を受けました。
馬場 それもね、韻律があるからいいんだっていうことですね。「五七五七七」が融解してくれるから。
伊藤 ある意味そこに韻律感があれば問題ないですよね。どこまでが口語で、どこまでが文語かっていう話題は切りがないですから。
馬場 つまりいろんなところで話していることだけれども、私は「五七五七七」っていうのは日本語の砥石のようなもの。これで言葉を砥げばいいのよ。口語も文語も一緒にして砥げるのよ。一緒のものと考えて、砥げば、自然に融合していくのよ。
「馬場あき子特別インタビュー 自己更新の先へ」聞き手:伊藤一彦
馬場さんの偉大さは短歌の原理を的確に射貫いておられることにあります。それがブレない。短歌の原理は何かと言えば韻律です。これがなければ短歌とは言えない。
二項対立的に言えば日本語には大和言葉と唐言葉があります。しかし厳密に区分するのは難しい。厳密であろうとすればするほど隘路にはまりこんでしまう。それは当然のことで日本語は朝鮮・中国から移入された漢語で文法や語彙を増やし重層化させてきたからです。
ただ大和言葉初源の特徴は韻律として残っています。五七五七七の韻律は日本人あるは日本語が生み出した初源の世界分節です。石川啄木でも俵万智でもよいですが最も人口に膾炙している歌は意味的には散文となんら変わらない。なぜそれが詩になるのかと言えば韻律の力です。
もちろん韻律を重視しない歌はたくさんあります。近過去で言えば前衛短歌の時代がそうです。自由詩に近いニューウェーブ短歌もそう。ただあらゆる文学ジャンルはその原理を抑えなければ優れた表現を生み出せません。世界文節とは私が世界の諸相に直面した際の驚きの表現です。時代が変われば驚きの諸相も変わる。短歌が短歌である限り韻律の力が失われることはないと断言できます。
馬場さんは言うまでもないことですが古典文学の碩学でもあります。学者であるかどうかは問題外の外です。馬場さんの評論は古典文学をどうやって生きたものとして捉えるのかというヒントの宝庫です。特に『式子内親王』は素晴らしい。『式子内親王』から能楽に関する評論を読めばなぜ王朝和歌が途絶え和歌から俳句が生まれたのかその機微がわかります。あまり注目され指摘されることがありませんが短歌復興の端緒となった正岡子規が最も重視したのが韻律でした。俳句は切れる。切れを手放すことは絶対にない。しかし短歌は韻律に沿ってどこまでも流れるのです。
腰ぬけるほどに重たき死を抱へ引きずりしこのわが手うたがふ
『あさげゆふげ』
俳句短歌小説自由詩を問わず意識が明瞭なら死の間際まで書き続けられる作家が真の作家だと思います。書けないあるいは書き悩む作家はジャンルの本質を捉え切れていない。馬場さんは真の作家です。
高嶋秋穂
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