夏目漱石の初期小説に『野分』があります。野分は言うまでもなく台風のこと。明治三十九年(一九〇六年)に『吾輩は猫である』で小説デビューして翌四十年(〇七年)六月に朝日新聞連載小説『虞美人草』で職業作家として出発する直前に書かれた小説です。
「文学に紅葉氏一葉氏(尾崎紅葉、樋口一葉)を顧みる時代ではない。是等の人々は諸君の先例になるが為めに生きたのではない。諸君を生む為めに生きたのである。(中略)凡そ一時代にあつて初期の人は子の為めに生きる覚悟をせねばならぬ。中期の人は自己の為めに生きる決心が出来ねばならぬ。後期の人は父の為めに生きるあきらめをつけなければならぬ。明治は四十年立つた。まづ初期と見て差支なからう。すると現代の青年たる諸君は大に自己を発展して中期をかたちづくらねばならぬ。後を顧みる必要なく、前を気遣ふ必要もなく、只自我を思の儘に発展し得る地位に立つ諸君は、人生の最大愉快を極むるものである」(中略)
「なぜ初期のものが先例にならん?初期は尤も不秩序の時代である。偶然の跋扈する時代である。僥倖の勢を得る時代である。初期の時代に於て名を揚げたるもの、家を起したるもの、財を積みたるもの、事業をなしたるものは必ずしも自己の力量に由つて成功したとは云はれぬ。(中略)中期のものは此点に於て遥かに初期の人々よりも幸福である。(中略)力量次第で思ふ所へ行ける程の余裕があり、発展の道があるから幸福である。後期に至るとかたまつて仕舞ふ。只前代を祖述するより外に身動きがとれぬ。(中略)
「以上は明治の天下にあつて諸君の地位を説明したのである。かかる愉快な地位に立つ諸君は此愉快に相当する理想を養はねばならん」
(『野分』「十一」 明治四十年(一九〇七年)一月)
漱石は文学潮流を初期・中期・後期の三期に分けています。初期は混沌とした過渡期。「尤も不秩序の時代」でありこの「時代に於て名を揚げたるもの、家を起したるもの、財を積みたるもの、事業をなしたるものは必ずしも自己の力量に由つて成功したとは云はれぬ」と書いています。要するに尾崎紅葉や樋口一葉の作品は消える(影響力を失う)と言っている。この漱石の認識は森鷗外も同じです。鷗外は明治の四十年間で後世まで残る作家は正岡子規だけだろうと書いています。『舞姫』で鮮烈なデビューを飾った自分を含めていないのが鷗外らしいですね。
次の中期は漱石の定義では文学全盛期です。初期である過渡期の試行錯誤を基盤にして様々な文学が生み出される時期です。作家の「力量次第で思ふ所へ行ける程の余裕があり、発展の道がある」百花繚乱の全盛期ということになる。
しかし後期になると衰退が始まる。華やかだった中期の文学全盛期の試みを繰り返して文学がマンネリ化して「かたまつて仕舞ふ。只前代を祖述するより外に身動きがとれぬ」ようになってしまう。
漱石は初期を明治の40年間と定義していますから40年周期の文学潮流論になります。単なる思いつきではなく約100年間に渡る英米文学の成果を詳細に分析批評した『文学論』でも漱石はまったく同じ見解を書いています。これを元号(西暦)に当てはめると以下のようになります。
・初期(過渡期) 明治元年から明治40年 1868~1907年
・中期(全盛期) 明治41年から昭和22年 1908~1947年
・後期(衰退期) 昭和23年から昭和62年 1948~1987年
・初期(過渡期) 昭和63年から令和9年 1988~2027年
この漱石の40年文学周期説は概ね当たっていると思います。戦後文学は戦前・戦中の抑圧から解放されジャーナリズムの大発展もあり空前の文学ブームを引き起こしました。さほど文学に興味がない家庭でも数十巻もある日本文学全集や世界文学全集を買い揃えた時代です。太平洋戦争敗戦が日本の歴史上に深く刻まれる大事件だったのも確か。
しかし虚心坦懐に見れば戦後文学の土台は戦前に出来上がっています。概ね明治41年から昭和22年(1908~1947年)の全盛期に生み出された文学が戦後文学の土台になった。小説で言えば漱石鷗外はもちろんのこと谷崎潤一郎や川端康成や芥川龍之介といった戦前から活躍した文学者の作品が戦後文学の土台になりました。三島由紀夫の初期小説を読めば彼らを器用に真似ることが文壇での出世の近道だったことがよくわかります。
自由詩も戦後詩や現代詩の華々しい時代が戦後にありました。しかしその土台はモダニズムやダダイズムやシュルレアリスムでありこれらもすでに戦前に出揃っている。戦後詩的な社会プロテスト詩が戦前のプロレタリア詩に源流があるのは言うまでもありません。
俳句はいつの時代も子規―高濱虚子的な花鳥風月写生句が盤石の基盤です。しかし戦後に僅かに生まれた新たな俳句表現である金子兜太・高柳重信らの前衛俳句の源流は戦前新興俳句にあります。
終戦直後の昭和23年から昭和62年(1948~1987年)までが文学衰退期だというのはにわかには受け入れがたいかもしれません。確かに詩も小説も盛んで本も売れていました。しかし僕の身体感覚ではその通りです。
戦後文学は1960年代から70年代に全盛期を迎えましたが80年代になると急速に翳り始めました。文学はとっかえひっかえ題材を変えて新しげな作品を生み出していましたが決定的に新たな作品は生まれなかった。その結果としてあれほど華やかに見えた戦後文学が昭和62年(1987年)頃に驚くほどキレイサッパリ霧散してしまった。要するに中期文学の遺産が尽きた。この頃からもう誰も本を読まなければバカになるなどといったたわ言を言わなくなった。マンガやアニメ・ゲーム(動画)などがかつての文学の役割を担うようになったからです。
漱石の40年文学周期説に従えばわたしたちが生きている現代は混沌とした初期(過渡期)でありそれは昭和63年から令和9年(1988~2027年)頃まで続くことになります。時代状況に即せばインターネットを新たな盤石の基盤とした高度情報化社会が始まった時期です。高度情報化社会になったのは誰もが認識していますがそれにどう対応してよいのかいまだ試行錯誤が続いている時期と言ってもいいでしょうね。
さて歌壇はどうでしょう。俵万智さんの『サラダ記念日』刊行は昭和62年(1987年)で穂村弘さんの『シンジケート』上梓は平成2年(1990年)です。漱石40年文学周期説に当てはめると混沌の初期(過渡期)冒頭に刊行された本ということになります。今も続いている歌壇の口語短歌・ニューウェーブ短歌全盛は一過性の過渡期の所産なのかそれとも全盛期なのか。過去を振り返り未来を見据えてちょっと考えてみる価値がありそうです。
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今号には「河野裕子第一歌集『森のやうに獣のやうに』刊行50周年記念 論考特集 肉体の声」の小特集が組まれています。「肉体の声」に「なまのさけび」というルビが振られています。
たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
河野さんの初期短歌と辞世短歌です。優れた歌人ですが恋愛して子どもをもうけ乳癌でお亡くなりになった一人の女性でもあります。語弊はあるでしょうが短歌がなければその生涯はそれほど珍しくない。
短歌が私の表現である限り「肉体の声=なまのさけび」が失われることはないでしょうね。その表現方法は時代ごとに異なります。しかし「肉体の声=なまのさけび」が書けない表現できない短歌技法も確実にあります。「肉体の声=なまのさけび」とは作家がどんな状況に直面しようとも何もかも自在に書ける短歌技法ということでもあります。
高嶋秋穂
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