青磁社から『岡野弘彦全歌集』が刊行されたのを機に特集が組まれています。岡野さんは大正十三年(一九二四年)生まれ。今年で百歲におなりです。ちょっと遅い全歌集の上梓かもしれませんがとても良い時期の刊行かもしれません。不謹慎かもしれませんが人間いつか死にます。しかし自死でない限りいつ死ぬのかはわからない。ただ百歲のご長寿になればそれほど時間が残されていないのは自明です。ご自分の手で全歌集を纏められるのは作家にとって大変幸せなことだと思います。
辛くして我が生き得しは彼等より狡猾なりし故にあらじか
第一歌集『冬の家族』(昭和四十二年[一九六七年])収録の歌です。太平洋戦争終戦時に岡野さんは二十一歲。特集原稿を書いておられる小島ゆかりさんによれば「終戦時には陸軍将校であったという」。「辛くして」に岡野さんの戦争体験が反映されているのは言うまでもありません。「妻を持ち子をなして生くる安けさを思ひはばかる亡き友の前」「わが友の命にかへて守りたる銃を焼くなり戦ひののち」といった歌もあります。将校といっても末端の兵士だったでしょうが復員できなかった戦友らを送り出した記憶がこういった歌を生んでいます。
地に深くひそみ戦ふ タリバンの少年兵をわれは蔑みせず
キリストか アッラーか知らず。人間をほろぼす神を 我うべなはず
戦争体験は岡野さんの大きなテーマです。「地に深く」はアフガン戦争で「キリストか アッラーか知らず」はイラク戦争が契機になって詠まれた歌かもしれません。ただ非常に僭越ですがこういった歌は凡庸です。スポーツに喩えるとウオーミングアップのようなもの。必要ですが重要ではない。誰もがそう思うことを表現するのもそれなりに大切ですが作家の独自表現とは言えない。
死ぬべき日 死に遅れたる悔いもちて すべなき命 まだ生きてをり
よるべなく ほろびし国を漂白ゆく。死におくれたる 無用者われ
こういった歌の方が岡野さんの代表歌として評価できるのではないでしょうか。一個人として戦争に責任があるとすればあの戦争で帰らぬ戦友らと共に死ぬべきであったと考えるのは自然です。また先の戦争にせよ今ウクライナやガザで起こっている戦争にせよ一個人が「無用者」であるのは同じ。その断念をどれだけ深く持てるのかが短歌文学だと思います。
俳句では「戦争が廊下の奥に立つてゐた」渡邊白泉から「原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ」金子兜太に至るまで大上段に振りかざしたような政治批判句が書かれています。自由詩の世界では「俺は垂直的人間」田村隆一といった前後をスッパリ裁断して強い個として立つ思想表現が生まれています。これに対して短歌はどうか。ちょっと語弊のある言い方ですがナヨナヨしている。個がブレる。戦中でも銃後でも戦後でも基本的に同じ。ただそれが短歌の特徴であり表現の基本だと思います。
短歌表現では作家の個の思想から感性に至るまで戦争が浸透します。個である私の表現だから当然のことです。私の表現である限り親兄弟が出征すれば戦争反対の思想は揺らぐ。兵士となりお国の為に死ぬ覚悟で戦友らを鼓舞して送り出し生き残ってしまっても同じ。人間の生と感情はそう簡単に割り切れるものではない。
岡野さんは宮内庁御用掛をお務めになり宮中歌会始の選者もお務めになりました。大変立派なことだと思います。ただそれを批判しようと思えばいくらでもできる。そしてその批判に答えようとすればこれもまたいくらでもできます。しかし岡井隆さんに至るまでそれを十全に為した歌人はいません。
責めているわけではありませんよ。これは短歌独自の大変重要で面白いテーマです。それを当事者が露わにできれば日本文化の本質に迫れるようなテーマです。『万葉』の古代から短歌と天皇家は密接に関係しています。岡野さんのように直接的に戦争で傷を負った世代には難しいかもしれませんが戦後世代はそれをフラットに見ることができるのではないでしょうか。
今後今歌壇で中堅として活躍なさっているスター歌人の皆さんが宮内庁御用掛などを務める日が必ず来ます。そう遠い将来ではないでしょうね。是非現実制度に飲み込まれて現実制度を越えたその本質をあきらかにしていただきたいものです。
咲き満ちて 照りしづかなる花房の揺らぐを見つつ 心燃えくる
九十使果ての命を思ひしづめ 花咲き映ゆる下に たたずむ
海原は真蒼に遠くしづまれり。海波の果てに 桜散りしく
魂の澄みとほるまで仰ぎをり。海の桜の散りやまぬ朝
魂は いづくさすらひ行くならむ。果てしもあらず 寄せきたる波
耐へがたく眼に沁む花のまかがやく さまを見とげぬ。心ゆたけし
白じろと 心にしみてゆらぎやまぬ、花のあはれを 胸に刻めり
老いの身は 桜の山に遊びしが 三日過ぎて思う 夢のごとしも
岡野弘彦「特別作品20首 海やまの桜」
岡野さんは折口信夫の弟子でもあります。引用はしませんが古代に想を得た歌もあります。しかし折口のような憑依系の歌は少なく理知的です。岡野短歌の特徴の一つでしょうね。
「特別作品20首 海やまの桜」には岡野短歌の特徴がよく表現されています。空白や読点の多用は折口の歌法を継承しているようですが質的に違います。岡野さんの歌からは作家の息遣いが聞こえてくるようです。朗唱に適した歌です。私の歌なのですが自我意識は小さい。風景と私が融け合った見事な歌です。こういう晩年はいいなと思わせる歌ですね。
高嶋秋穂
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