池上晴之 新連載評論『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』(第01回)をアップしましたぁ。文学金魚では寅間心閑さんが『寅間心閑の肴的音楽評』を連載しておられますが、一味違った、というよりまったくタイプの違う音楽評です。アメリカ(メンバーのほとんどがカナダ人ですが)のロックバンド、ザ・バンド一本槍です。ただよくある熱狂的ファンの音楽評とも質が違います。
池上さんはアメリカの詩人(イギリスから帰化)、W・H・オーデンの『二十歳から四十歳の間で、ある芸術作品について「ぼくは、自分の好きなものはわかっている」という人がいたら、彼は実際には「ぼくは、自分自身の趣味はもっていなくて、自分の文化的環境の趣味を受入れているのです」といっているのだ』という文章を引用しておられます。二十歳から四十歳の時期は、誰にとっても知恵熱の時期ということですね(笑)。自分が本当に打ち込める対象はもっと年を取らないとわからないということでもあります。
池上さんは『ぼく自身はオーデンの言葉を折に触れて思い出し、できるだけジャンルという先入観にとらわれずに音楽を聴くようにしてきた。その結果、いまではクラシックも現代音楽もジャズも邦楽もロックやポップスと同じように楽しむことができるようになった。ところが、いまでもいちばん好きな音楽はザ・バンドなのだ。六十歳を過ぎたいま、本当の「趣味」がわかったと自信をもって自分に言えるようになったわけである』と書いておられる。池上さんの音楽の範囲は広く、その中でザ・バンドが残ったということです。
批評の原則はまず批評対象があり、それを正確に理解し長所も短所も分析し尽くした上で、その意義を未来に向けて解き放つことにあります。その意味で批評対象は任意で選ぶことができる。絵でも古美術でも音楽でも文学でもいいのです。しかし小林秀雄的に言えば批評家の夢にピタリと合う現実でなければ的外れの批評になってしまう。池上さんの音楽評は正統吉田秀和的なものだと思います。
池上さんは自由詩にもお詳しくて、来月から鶴山裕司さんと『日本の詩の原理』という対話を連載していただく予定です。出版社に長くお勤めになり「短歌」の編集に携わっておられたので、文学金魚らしく自由詩に限定されない詩を巡る対話になると思います。こちらの方も楽しみでありますぅ。
■池上晴之 新連載評論『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』(第01回)縦書版■
■池上晴之 新連載評論『いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう』(第01回)横書版■
■ ザ・バンドのコンテンツ ■
■ 金魚屋の評論集 ■
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■