鶴山裕司 安井浩司研究No.014 安井浩司 草稿 原(ウル)『青年経』(一)をアップしましたぁ。今回から安井浩司さんの第一句集『青年経』(昭和38年[1963年]刊)の原本になったノートの紹介です。だいたい4回くらいになるようです。
作家にとって最初の創作集は重要です。特に自由詩の詩人や小説家のように作家の自我意識を前面に押し出す作家にとってはそうです。ただし俳句は微妙。まあはっきり言いまして、575に季語絶対の伝統俳句の俳人の作品はどれもこれも同じに見える(読める)。確かに生涯作品全部を振り返れば作家性は見えて来ますが一冊ごとの独自性は薄い。これは俳句という伝統詩型の大きな特徴です。伝統俳句は風物の叙景中心になるからです。わたしは嬉しい悲しい寂しいをストレートに詠む短歌よりも作品で表現される作家性は薄い。実際短歌を読むと結婚したんだなぁ、ご病気をされたんだなぁと作家の実生活までわかりますが、俳句でそれを表現するのはとても難しい。
しかし安井さんは作家性の強い俳人で、かつ伝統俳句に反旗を翻した俳人ではありません。安井俳句は従来通りの575で季語を無視しようという意図もない。安井俳句が難解で知られ、しかし新たな表現領域を無防備に探求した高柳重信系の前衛俳句とは質が違う理由です。
なぜ安井俳句が俳句史上で特異な作品になったのかは、その第一句集に秘密があると見て間違いありません。第一句集巻頭句は「渚で鳴る巻貝有機質は死して」です。この句に対して鶴山さんは「俳句は575に季語の絶対外形を持つ堅固な巻貝である。そこに息を吹き込んでやれば鳴る。誰でも簡単に俳句を詠むことができる。しかし中身――作家のオリジナリティや独自俳句表現――は死んでいるのだ」という意味のことを書いておられます。
安井さんは外形は堅固でも中身は死んでいる俳句に〝中身〟を取り戻そうとした作家です。その秘密は第一句集にある。鶴山さんは要不要は棚上げして安井さんの草稿を紹介すると書いておられます。まさに研究ですね。
■鶴山裕司 安井浩司研究No.014 安井浩司 草稿 原(ウル)『青年経』(一)■
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