「三〇〇歌人新作作品集 テーマ「リ・スタート」」が組まれています。特集ページ扉には「一冊丸ごと短歌作品。性別や年齢で括りません。五十音順です。かつての女性歌人作品集、男性歌人作品集をやめて、五月号に一気に掲載するのは、三年目です。新型コロナウイルスの感染拡大・蔓延は収まらず、「第七波」への警戒が呼びかけられています。二月終わりからの、ロシアのウクライナ侵攻では、凄惨な戦争の状況が、次々と明るみに出ています。そうしたなかで、このテーマを掲げます。リ・スタート。ここから、また始めよう」とあります。
「短歌研究」さんは「角川短歌」さんに比べて変化に敏感です。誌面を見ていても新たな試みを積極的に紹介しようという姿勢があります。比較的編集権が強く既存の歌壇序列を守りながらギリギリのところを攻めている感じです。「短歌研究」と「角川短歌」が歌壇の商業誌の双璧だと思いますが良いバランスです。
空は月を月は想いを生み出して私にも春、あなたにも春
グーグルの検索欄にハングルで打つ「南山のツツジ開化期」
「今日母の誕生日です」銀行で告げる海外送金の理由
「お金より娘がそばにいて欲しい」梅を見ながら母の声聞く
満月で眩しい夜は星が見えぬ私も母がそばにいて欲しい
暗い服ばかり着たがる日々を終えリ・スタートには藤色を選る
昨日、今日、そして明日の太陽は海の底へと光を送る
カン・ハンナ「底光」
やめたるわ こころの関西人を呼びなんども辞意をたしかめている
ことぶき?と訊かれるたびにくやしくて抱えたファイルでおっぱいつぶす
はたらけど猶はたらいていたかった 退職届撮れば白飛び
いなくなるわたしとしてのふた月の空瓶みたいな重さと軽さ
さようなら、和式のトイレいい上司ぬるいコピー機がんばるわたし
いままでのすべてを過去にした月がきょうもきれいであしたもきれい
すきでいて ここは盛岡肴町シュガー・レイズド・ドーナツひとつ
工藤玲音「シュガー・レイズド・ドーナツ」
カン・ハンナさんと工藤玲音さんの歌は口語短歌ですがそれをさほど意識させません。ニューウェーブうんぬんは別として口語短歌はこれからも短歌の書き方の一つになるはずですがお二人は実生活上でどんな変化が起ころうとも口語で書くことができそうです。もちろん俵万智さんのように場合によっては文語体を使うこともあると思います。過去の詠嘆などは文語体の方が表現しやすい。単純ですが現在形の抒情は口語で表現し過去形の詠嘆は文語体でというのは最も汎用性の高い書き方だと思います。
またお二人とも生に対して前向きです。口語短歌とニューウェーブ短歌はどちらも口語を使うことが多いですがその区分は曖昧です。ただニューウェーブ短歌は生の否定形を口語で表現しようとするから内面化された叙景になりやすい。悲しい苦しいはハッキリそう書いた方がいいわけですが書法にとらわれるとそれができないでアトモスフィア短歌になってしまう。お二人の歌は口語短歌の成熟を示しているように思います。
老いの日は即来るものにあらざりて一葉ひと葉と枯るるやさしさ
杉本容子「此処」より
ねえ聡、春風はなぜ濡れてるの 車椅子から手を伸ばす母
千葉聡「春のてのひら」より
ちちははのいのち終わればあんなにも家族でありし時間が揺らぐ
中川佐和子「写真の中へ」より
きみがゐたならきつと反対しただらうこんなに疲れ死までの日々を
永田和宏「あと十年」より
もう弱りゆくしかない父 歳とっていくしかないわれ 再びはない
なみの亜子「あの頃の」より
コロナやウクライナ戦争を詠った歌が多いですがやはり歌人の実生活に食い込む作品には説得力があります。ときおり年を取り死を意識するようになった人間に残されているのはノスタルジアだけなんじゃないかと思うことがあります。それが表現できなければ作家の晩年は苦しくなる。
人間誰もがいつか死ぬ。今号の作品特集を見ていても若手から年長者までの歌がズラリと並んでいます。短歌は文学的意味があろうとなかろうと死の間際まで詠める形式です。それを手放すテはない。ただある一定の書き方に執着するとそれができなくなる。前川佐美雄のように世相変化に敏感で世の中が変わり自分の考えが変われば書き方が変わってもいいのではないでしょうか。絶え間なく書き続けることが短歌に対しての誠実ですから。
散るまえに花は摘むべし摘むまへに花は愛づべしそのまぼろしを
散る花のまぼろしは見ゆまぼろしの咲く花のすがた見えたるのちに
花吹雪 すべて拒めど来しかたも行くすゑもとほざかりゆくのみ
雪のやうにと花を喩ふるときに散る花のまぼろし、花のたましひ
花のやうにと雪を喩えふるときに散る雪のまぼろし、雪のたましひ
雪のやうにと花を喩へて花のやうにと雪を喩へてよどめる白は
ちるはなの(ちるゆきの)なかパレードはちるはなの(ちるゆきの)なか行く
田口綾子「パレード」
田口綾子さんの「パレード」七首は目を惹きます。この七首だけでなにか決定的なことを言うことはできませんが花と雪のバリアントだけでこれだけの歌を詠めるのは凄いことだと思います。テーマは「白」。白紙還元です。こういった抽象的な歌を挟みながら現実世界を詠むと迫力があるでしょうね。
二〇一一年、文化庁の文化交流使として十日ほど、ポーランドのクラクフへ出かけた。
軍用機のかずのおおさにおどろきしあさの空港のきおくあたらし
連日のロシアのウクライナ侵攻の報道
おおきなあおいトランクをもち白犬をつれてキーウをはしる人あり
いけにはいりたいかわでおよぎたい いつだってそんな目配りのテオのさんぽは
にわつちに雪つもればともかくもはしっていってあしあとをつける
にんげんのじかんとちがう鳩のじかんつつつとあるく春のにわつち
くわえてきてテオがわたせりプーチンのかおがおおきいけさのしんぶん
ひるがえるかわせみひかりかわせみのみずにうつれるかげもひかれり
ふとひらくごとくさきたるうめの花にゆうやみがきてねむくなるテオ
佐佐木幸綱「朝五時のテオ」より
作品特集ですが巻頭は別格の佐佐木幸綱さんの「朝五時のテオ」。そこはかとなく歌壇秩序が守られているわけですが当然だと思います。
幸綱さんもウクライナ戦争を詠んでおられるわけですが思想表現はありません。理由は犬のテオを詠んだ連作だからでしょうね。ある意味物言わず人間のようには考えないテオの側から現実世界が相対化されている。「ひるがえるかわせみひかりかわせみのみずにうつれるかげもひかれり」は連作の秀句だと思います。誰が詠んでいるのかわからない。見事な叙景歌です。そして「ねむくなるテオ」。お見事です。
高嶋秋穂
■ カン・ハンナさんの本 ■
■ 工藤玲音さんの本 ■
■ 田口綾子さんの本 ■
■ 佐佐木幸綱さんの本 ■
■ 金魚屋の評論集 ■
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■