創刊90周年企画として「名のみ知られ、ほとんどだれも読んだことがなかった天才を育てる雑誌「オレンヂ」を読む」が掲載されています。「オレンヂ」は昭和二十一年(一九四六年)十一月一日創刊で二十四年(四九年)一月一日までに八冊刊行されました。編集長は前川佐美雄で同人に斎藤史や坪野哲久や石川信雄らがいました。歌人では吉井勇や佐佐木信綱が寄稿しています。俳人の山口誓子や詩人の三好達治も作品を載せています。
特集ページ扉には「「オレンヂ」は、旧来の歌壇に真っ向から異を唱え、そして「天才を育てる」と宣言した。その理想に憧れ、若き塚本邦雄、杉原一司、山中智恵子らが集ったのである。雑誌名はよく知られていたが、現実には雑誌を読んだものはほとんどいないという」とあります。歌人の小佐野彈さんが実業家・田中悠貴さんと共同で購入して慶應大学図書館に寄贈したことで閲覧できるようになったようです。高かったんでしょうね。
小林秀雄や中原中也が参加していた「山繭」など入手困難で欠号があり全部揃っていない同人誌(結社誌)はあります。ただ特集の論考で堂園昌彦さんが「会員は全国で千人を超えていたそうだから、戦後、歌に飢えていた人々が水を求めるように集ったのだろう」と書いておられます。会員千人なら千部刷って配布した可能性があるわけですがどうして入手困難になったんだろう。また丸三年刊行されて第八号で実質的に終刊です。通常の結社誌に比べても刊行ペースが遅い。
「オレンヂ」は佐美雄が戦前に刊行していた結社誌「日本歌人」となって消滅したようです。「オレンヂ」が入手困難な理由も刊行号数が少ない理由もちゃんとあるのでしょうが時間が経つと謎めいて思えてきます。ただ謎めいていた方が面白いですよね。
巻頭言
出発にあたって、これまでの仕事をふり返り、これからの仕事を見渡して見よう。われわれのこれまでをかへり見ると次の三つのものを重んじて來たと言へよう。
一、浪漫精神
二、近代主義
三、藝術主義
そしてこれらの根本的主張は、これから先も變更される必要はなく、ますます強調されて行くべきだと考へる。(中略)
我々の今後の行き方については、以上の大道に沿うて、創意工夫を凝らして行くといふ外はないが、唯實際上の運動に際しては、左の五つの點に注意して行くべきだと考へる。
一、作品主義。徒に旧勢力を深追ひせず、常に古今の第一級のみを目標としてよく作品の創造に努める。
二、同年代との均力。このためには中央から最左翼までの「共同戦線」を張る。
三、デモクラシイ。個性や天才は尊重するが、結社内或ひは歌壇内にデイクテエタアや悪ボスを作ることを防止する。
四、個性の自由。社内に於ては、個性を重んじ、天才を育てることに努め、「鍛へる」と称して、個性や天才を摩滅するに反対すると共に、歌壇一般に対しても、これを要求する。(但し、未熟者のうぬぼれの場合は論外である。)
五、言論の自由。社内及び歌壇に於ける偶像礼拝の悪習を排し、自由に責任ある言論を活発にする。以上。
前川佐美雄「オレンヂ」創刊号「巻頭言」(昭和二十一年[一九四六年]十一月一日創刊)
編集長・佐美雄の創刊号「巻頭言」の理想は高邁です。佐美雄は「浪漫精神」「近代主義」「藝術主義」について説明していますが現代的に言えば「抒情性」「現代性」「作品至上主義」ということになるでしょうか。結社誌の運営に際しての「實際上の」「注意」点についても極めてリベラルです。「オレンヂ」創刊時の佐美雄は四十三歳の壮年ですがなによりリベラルな風土で新しい才能を持った歌人を育ててゆこうとする姿勢は立派だと思います。こういった風土は現代の歌壇でも続いている。まあ勘違いした老害歌人もいないことはないですがそういった方が歌壇の中心に立つことはない。おおむね佐美雄的風土が定着しています。
ただ「オレンヂ」は佐美雄編集長(実質的主宰)の結社誌です。自由詩や小説同人誌と大きく違う点ですね。小説同人誌の場合は発表場所を求めて頼母子講的に淡々と刊行されている歴史の長い同人誌があります。ただ詩のジャンルの自由詩では年長者を中心に同人誌(結社誌は存在しないですから)が刊行されることはまずありません。たいていは未熟な若い詩人が寄り集まって切磋琢磨します。そして作家として一人前になりかけると大喧嘩して空中分解するのが常です。自由詩の世界では空中分解同人誌の方が伝説的になることがあります。
「オレンヂ」という結社誌が創刊され若く才能ある歌人を育てていこうという姿勢があることは短歌界の大きな特徴です。短歌は伝統短詩型文学だということです。結社無所属の歌人が増えた今でもそれは変わりませんね。結社無所属でも頭角を現した歌人たちは一生懸命後進歌人を理解し育てようとしています。
こういったことは歌人には当たり前で「わたしらにそれがなんの関係がある」ということになるかもしれません。しかしもし意欲的歌人で新しいことを為そうとしているのなら歌壇内部から短歌を見るのではなく外から相対化する必要があります。短歌を続ける限り歌人は誰一人として集団的伝統短詩型文学から逃れることはできない。
厠
朝ごとに厠にのぼるならはしも曲廬住みの樂しみにして
深ぶかと降りたる霜を窓ゆ見し厠の冬も過ぎにけらしも
窓際に古香爐置き或るときは一炷の香も厠にて焚く
厠にてふとしも思ふ庭隅の榠樝の花の既に散れるを
吉井勇「寶靑庵素描」
「オレンヂ」掲載の吉井勇の歌です。「オレンヂ」創刊当時の勇は満六十歳。不良華族事件を経て離婚・再婚し京都の八幡市に住んでいました。隠棲の雰囲気漂う連作です。
「オレンヂ」は意欲的芸術歌誌ですが勇のような古典的骨格の歌も掲載されています。佐美雄の目配りの良さでしょうね。短歌・俳句の日本伝統短詩型文学には〝故郷〟のようなものがあります。意気軒昂で意欲的・前衛的なだけではダメなのです。ある瞬間に必ず勇のような歌に戻ってゆくことがある。それを拒絶して個性的書き方を押し通せばどんどん苦しくなる。苦しくフラストレーションの溜まる書き方を続けようと性根を決めなければどこかで崩れるか書けなくなる。
杉原一司 (創刊号「同人作品1」欄)
かつて我身をゆさぶりし激情のかへりくる日は虹かかりをれ
夏の陽に焼かれて日日をあるばかり石花々のやうに開かず
わが夢をあざむくものの中にありてひとつだけ清き夏空の雲
血液にひそめる菌のかたちなど思ひつづけてねむり入りたり
うろこ雲のびゆく夏の陽ざかりに花はま白く咲くをおそれず
塚本邦雄 (第二號「オレンヂ詠草(其四)」欄)
夕靄に枇杷すら匂ふを額上げてわがもの言ふは稀となりにし
微かなる轍の跡の薄氷に再た影うつして歸ることなし
新しき帽子の翳にけふの日のやつれは秘めてわが巷ゆく
さて「オレンヂ」最大の興味は塚本邦雄の成熟です。塚本は佐美雄の弟子で「オレンジ」や「日本歌人」で頭角を現して戦後を代表する前衛歌人となりました。その機微が「オレンヂ」を通読することで明らかになるかもしれないということです。
ただ抜粋掲載された作品を読むと杉原一司の歌は図抜けています。一読してハッとするくらいの出来です。大正十五年(一九二六年)生昭和二十五年(五〇年)没。享年二十三歳。無念の若死にですが塚本に決定的影響を与えました。
杉原の歌は高度に観念的なのですがまったく影がない。それは「虹」「夏」「雲」「白」などの単語の使い方からも読み取れます。創刊号と第二号の作品ですが杉原の歌の前では当時の塚本の歌は霞む。それに気づいたから塚本は塚本なわけですが残酷なものです。
高嶋秋穂
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