二月号の巻頭は平井弘さんの「おほきな足」。昭和十一年(一九三六年)生まれで今年八十七歳におなりですから歌壇の大御所と言っていいですね。歌集は少ないですが令和三年に十五年ぶりに『遣らず』を上梓なさいました。
なんだこのおほきな足どこにもゐる人なんですが気になりますか
よくまあ放つといたものですねミドリガメのこといやもつと大きい
をととしのそのをととしのいつまでがほんたうの兄さんだつたのか
海をいけばうみのものに山をいけばやまのものにつまづいてなあ
出したものが入れてないんだよしやうのない子だねえ拾つておおき
あとに続くとおもつてをりませぬ力とはさういふものですから
切り口をむけてさしだす小枝なにかかんがえごとしてなさつたね
おほきいとおもつた靴どうでしたしほみづですねえ砂もはひつて
なんだこのおほきな足うれしさうな顔でそれではといふんだもの
平井弘「おほきな足」より
最初に平井さんの歌を読んだ人は新鮮に感じることと思います。実際平井短歌を口語短歌やニューウェーブ短歌の先駆と捉える歌人もいらっしゃいます。前衛短歌の一つという評価もあります。しかしどの捉え方も今ひとつしっくり来ません。
口語短歌からニューウェーブ短歌が派生したわけですがその原点が俵万智さんと穂村弘さんであるのは動かないでしょうね。お二人に共通しているのは肯定感です。それまでの短歌はささやかであれ絶唱であれ人間の生を巡る詠嘆・慨嘆を詠むのを基本としてきました。乱暴に言えばままならない生の営みに対するネガティブなルサンチマンが基調にあった。
ところが俵・穂村さんはかつてないほどあっけらかんと人間の生を肯定した。その向日性は非常に新鮮でした。短歌は初めて死の影のまったくない表現を生んだと言っていいと思います。ただポスト・ニューウェーブ短歌によってその原点である俵・穂村さんの特性が明らかになってきています。
俵さんが角川短歌新人賞を受賞した際の次席が穂村さんだったのはよく知られています。文学史ではたまにあることですがこれは象徴的です。
俵・穂村さんのあっけらかんとした生の肯定は後続のニューウェーブ歌人たちによって〝現在の自分の生と社会を口語現在形で捉える方法〟として継承されてゆきました。その結果何が起こったのか。自己の生や社会について決定的なことは何も詠めないあるいは何も詠む事がないという希薄な短歌が大量に生み出されました。
もちろん短歌としては最大限修辞的工夫を凝らしていてそれがいわばニューウェーブ業界内で高く評価されています。しかし大局的に見ればかつての現代詩の亜流表現。歌人の多くが「現代詩は見る影もなくなったね」と言っている状況で一昔前の現代詩的実験を繰り返してもそれほど新鮮ではありません。
このポスト・ニューウェーブ短歌の推移から見えて来たのは俵・穂村さんの肉体的資質です。彼らの歌の肯定感は方法ではないということです。俵さんが〝永遠のおかっぱ少女〟(失礼ながら僕がそう言ったのですが)なのは確かで彼女は無垢な少女のまま成熟していっています。いわゆる幼児成熟です。穂村さんも同様です。幼年時代の一人遊びの至福な時間がこれからも彼の表現の基盤となり続けると思います。つまり彼らの歌には肉体的思想がある。
では口語現在形の自分と社会から俵・穂村的な肯定を引くとどうなるのか。当然ネガティブな表現になります。たいていの歌人は自己の生も社会もそう簡単には肯定できないからです。というかほとんどの人間は現在形の生を容易に肯定できません。しかし自己や社会に対する慨嘆を表現したのでは従来的短歌を口語で詠んだだけになってしまう。そのため決定的な事柄は何も表現せず修辞で誤魔化す短歌が生まれることになる。逆に言えば普通の人間が有している生の葛藤をごっそり欠落させているのが俵・穂村さんの肉体的資質だと言っていいと思います。俵・穂村さんの歌がかつてないほど新鮮だった理由です。
本題に戻って平井さんの短歌に生の肯定があるのか。ないですね。詩人・藤富保男さんバリのスカした表現です。肯定感とも否定感とも焦点がズレている。では平井さんの歌はかつての前衛短歌の一つなのでしょうか。
島田 そこがちょっと僕は違うな。休詠期間が長すぎるような気がしたんだよ。平井さんと同時代に、岡井隆さんとか佐佐木幸綱さんとか、現代短歌の厄介な最前線を離脱しないで歌い続けた先輩たちがいるからね。平井さんと村木道彦さんは期待された歌人だったと思う。しかし、事情はあるにしろ、大事な時に前線を離脱してしまった歌人というイメージが僕にはあるんだよ。
穂村 最初も二冊目も、今回もずっと戦後がモチーフですけど、戦後の意味自体がどんどん変化してゆくじゃないですか、今や戦後か戦前か戦中みたいな。第一歌集のときは、生々しい傷跡があった戦後。平井さんは疎開世代だから、ぎりぎり当時者性がちょっとずれているという意識があって、それがテーマだった。でも、満足することなく、やり続けるんですよね、数十年おきに。同じ戦後を詠っても、戦後性の意味自体が変わるから文体が変化していく。一方、通常の歌集では軸になるような本人の生活感覚とか家族のこととかは全くわからない。そんな歌人は稀でしょう。すごくかっこいいと思いますけどね。
島田 僕はそれほどかっこいいと思わないな。新刊の『遣らず』はもちろん、すごくレベルの高い歌集ですが、歌の表現や質が『顔をあげる』や『前線』当時とほとんど変わっていない感じがした。それを風化しないと見るか、過去にとどまったままじゃないかと見るか、だよね。(中略)俺は現代短歌の現代文学の前線で揉まれに揉まれて、その挙句、風化せざるを得なかった、転向せざるを得なかったという姿勢がよろしいと思っている立場だからさ。打ちひしがれて、少しはしみじみとしてほしいね(笑)。
『新春特別座談会 短歌の継承と変化~時間とともに見えてくるもの~』島田修三/米川千嘉子/穂村弘/横山未来子(角川短歌 二〇二三年一月号)
平井さんの歌に対する評価は先月号の新春座談会の島田修三さんと穂村弘さんの発言に端的に表れています。穂村さんは「ずっと戦後がモチーフですけど、戦後の意味自体がどんどん変化してゆくじゃないですか、今や戦後か戦前か戦中みたいな。(中略)同じ戦後を詠っても、戦後性の意味自体が変わるから文体が変化していく」と平井短歌のモチーフを高く評価しておられます。もちろん平井さんの歌は「通常の歌集では軸になるような本人の生活感覚とか家族のこととかは全くわからない」。独自性が高いわけです。
これに対して島田さんは「事情はあるにしろ、大事な時に前線を離脱してしまった歌人というイメージが僕にはある」と否定的です。また穂村さんの変化し続けているという評価に対して「歌の表現や質が『顔をあげる』や『前線』当時とほとんど変わっていない感じがした。それを風化しないと見るか、過去にとどまったままじゃないかと見るか、だよね」と発言しておられます。
平井短歌を素直に読めば島田さんのおっしゃる通りだと思います。初期から現在までほとんど変化していない。穂村さんの「戦後性の意味自体が変わるから文体が変化していく」というのは深読みというか好意的に解釈し過ぎている気がします。また平井さんが「大事な時に前線を離脱してしまった歌人」であるのも事実。正確に言えば最初から前線に立つつもりがなかった。
前衛は現代の精神状況を真正面から引き受けてそれを思想的に表現した作品か文体(修辞)的に表現した作品かのどちらかです。そのいずれも平井短歌には見あたりません。「あとに続くとおもつてをりませぬ力とはさういふものですから」とあるように平井さんお一人で終わる質のものです。その表現には「力」がありますが決して継承できるものではない。
僕は馬場あき子さんをこよなく尊敬していますが馬場さんの偉大さは短歌の歴史を一身に背負っていることにあります。なるほど馬場短歌はオーソドックス。しかし平安短歌にまで溯る短歌の大流を背負う歌人がいるからこそ存分に個性を発揮した突飛な表現が許される。だけど幹がなければ枝は枯れてしまう。
平井さんを口語短歌・ニューウェーブ短歌の先駆として担ぎ上げようとしてもご本人からはそれを裏付ける言葉は何も出てこないでしょうね。悪い意味で言っているわけではないですが過去・現在・未来の歌人たちの葛藤を横目で見ながらの抜け駆け短歌です。もちろん自分一人抜け駆けするには強い覚悟が必要。徒党を組んでいたのではダメ。また平井さんには孤立の道を行かざるを得ない肉体的思想があった。奇貨居くべしの歌人でしょうね。
高嶋秋穂
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