56年ぶりに東京でオリンピックが開催されたこともあって(2020年開催予定が1年延びたので57年ぶりになりますが)角川短歌さんでは最初に日本でオリンピックが開催された年の「大特集 1964」が組まれています。
64年オリンピックには国際社会への日本の完全復帰と経済復興を内外に知らしめるという目的がありました。社会インフラもまだまだ途上段階でオリンピックに合わせて新幹線が開通し首都高などが整備されました。現在にまで残るいわゆるオリンピックレガシーがいくつもあります。
それに対して2020年東京オリンピックは心もとないですね。あれはなんだったんだろうというのが多くの人の感想ではないかと思います。チラっとYouTubeで見たのですがN党党首の立花孝志さんが「目に見える2020東京オリンピックのレガシーはなにもない」とおっしゃっていました。そう言わざるを得ないでしょうね。
2020年東京オリンピックははロゴの剽窃問題から閉会式の人事に至るまでトラブル続きでした。そしてそのトラブルシューティングが実に曖昧な形で行われた。コロナ禍の中でまがりなりにもオリンピックを開催したことは諸外国の選手らから感謝されましたがどうもスッキリしませんね。〝なんのためのオリンピックなの?〟という疑問を投げつけたような大会でした。
オリンピックは巨大組織と巨大利権の巣窟になっていますからそう簡単にその方向性を変えられるとは思えません。しかし2020東京オリンピックを境に少しずつ変化してゆくのではないかと思います。特集に佐佐木幸綱さんがエッセイを寄せておられ「チケットが余っているということで、できたばかりの駒沢球技場(だったと思う)で行われたオリンピックのサッカーを見に行った記憶がある」と書いておられます。タダ券が出回っていたのですねぇ。
それに対して2020東京オリンピックのチケットは争奪戦でした(最終的に無観客になりましたが)。最低価格からして異様に高かった。64年当時の政治経済状況と比べれば現代社会は透明度を増していると思いますが2020東京オリンピックは灰色でした。すべてが十分な説明なしに始まり途中で十分な説明なく変えられていった。2020年の方が安定していて平和なはずですが64年当時の方が希望がありスッキリしていたように思えてしまいます。
一国がきらめく匕首にかわるとき誰かが誰かの戦争にゆくとき 岡井隆『眼底紀行』
宰相を刺せ、しからずば真夜の深さや 一指だに染めえずと知る夕映え小路 同
独裁はあかあかとよみがえり来む渇ける犬をもてあそぶ間に 同
組織、萌黄の忠誠をこそ求め来ぬむらさきの苗われは捧げむ 『朝狩』
特集では「鑑賞 時代を象徴する歌・その風景」のコーナーがあり加藤直美さんと中島裕介さんが岡井隆さんの歌を選んで論じておられます。60年代歌壇では岡井・塚本・寺山・春日井らがスターでしたから岡井さんの歌が取り上げられるのは当然です。
ただこうやって改めて60年代(64年か)を代表する短歌として岡井さんの歌を読んでみるとうーんと思うところはありますね。書きすぎているのではないかという感覚です。
「一国がきらめく匕首にかわるとき」という構えの大きさは魅力的です。「宰相を刺せ、しからずば真夜の深さや」「独裁はあかあかとよみがえり来む」「組織、萌黄の忠誠をこそ求め来ぬ」という表現は意味として捉えるしかありません。簡単に言えば反体制。もちろん下の「夕映え小路」「渇ける犬」「むらさきの苗」で反体制思想は抽象レベルに引き上げられる(もしくは引き上げられようとしている)わけですがそれが成功しているのかどうか。
70年代くらいまで岡井短歌は「カッコイイ」と捉えられた時代が確かにあったと思います。このカッコよさはある意味書き過ぎから生じていたように思います。60年代前衛短歌が戦後詩や現代詩から強い影響を受けていたのは明らかですが芸術至上主義派でありモダニズムの系譜に位置する戦後詩の「荒地」派は直截な政治思想の表明に消極的でした。周到に避けていたと言っていい。「列島」系が社会批判派だったわけですが当時ですら「列島」の詩人たちの評価は低かった。現代詩派が政治とほぼ無縁だったのは言うまでもありません。
岡井短歌の書き過ぎは遅れてきた「荒地」派である吉本隆明に似ているところがあります。「ぼくが倒れたら、一つの直接性が倒れる」ですね。これは文句なしにカッコいい。でも〝しかし〟という疑念が抜けません。見事な見得を切ったわけで勇気ある書き過ぎでもありますが書き過ぎは書き過ぎではないのか・・・。
岡井さんの歩みは自由詩の世界での吉本隆明の歩みにかなりの程度なぞらえることができるのではないかと思います。吉本さんが文学から社会批判に至るまで幅広く論じたのと同様に岡井さんは最晩年まで目配りが良かった。様々な文学ジャンルについて論じその現代性を探ろうとしました。ただその〈個〉の特権性が失われる時代になっていたのではないか。吉本さんは『マス・イメージ論』(1984年)と『ハイ・イメージ論』(89年)でほぼ思想家としての役割を終えますが岡井さんの転機もこの頃だったように思います。歌人の功績だけでなく思想家岡井隆としても再検証する必要があるでしょうね。
醫師は安樂死を語れども逆光の自轉車屋の宙吊りの自轉車 塚本邦雄『綠色研究』
岡井さんといえば塚本邦雄さん。山下雅人さんが塚本の歌を引用して論じておられます。塚本さんの歌はこらえています。決して書き過ぎたりしない。岡井さんよりも現代詩に近しい喩的表現だったと思います。
しかし言うまでもないことですが塚本思想は岡井思想にとても近しいものだった。その生地が表れてくるのは晩年です。若い頃はこらえていた表現にほころびが出てくる。塚本ならではの喩的表現が力を失って社会に拮抗できなくなったからです。その理由も考えてみる必要がありそうです。
巨いなる船のごとくに成らんとす地下鉄工事の地下覗きみつ 島田修二『花火の星』
挑むべき未来は厚し魔法瓶のがらすの青に湯を流れしめ 同
答え得ぬ謎多き戦後経て来つつ梅は梅として花を抱きぬ 同
明らかに虐殺のさま写しつつ揺るるカメラよ感情を負う 『青夏』
王紅花さんと加藤直美さんと川上まなみさんは島田修二さんの歌を64年代表歌として選び論じておられます。塚本さんは1920年生まれですが島田さんと岡井さんは28年生まれで同い年です。
島田さんの短歌は岡井さんや塚本さんと違ってハッキリとした生活詠の手ざわりがあります。生活に根ざして先の見えない未来を「覗きみ」「湯を流れしめ」ています。ベトナム戦争の「虐殺のさま」の悲惨をテレビで見ています。こういった生活詠が70年代以降に増えてきます。そして1980年代の半ばから個の時代がやってくる。私あるいは極私を詠うことが増えるわけです。言うまでもなく俵万智さん『サラダ記念日』がその嚆矢です。
ただ生活詠とはいえ島田さんの歌はしっかりと社会に食い込んでいます。それが80年代半ばから急速に失われていった。社会に食い込む歌は非正規労働やLGBTやイジメなどになり自殺がバニシングポイントになっているかのような状況です。しかしそれでいいのか。社会は歌えないのか。あるいは60年代社会詠に代わるような世界に食い込む歌はあるのか。あるとすればどういった質のものなのかも考えなければならないでしょうね。
高嶋秋穂
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