動物を擬人化して主人公にした小説はけっこうありますわね。たいていはファンタジー小説系ですが、中にはハードボイルド的なお作品もあります。題名も作家様も忘れてしまいましたけど、昔読んだ小説にカンガルーが知能を持って人間を制圧してしまうというSFモノがありましたわ。内容的は『猿の惑星』的でそれほど新鮮味がなかったんですが、もしカンガルーが知能を持ったらどーなるのかという記述が意外とリアルでまだ記憶に残っています。
カンガルーが人間と同程度の知性を持ったら恐ろしいですわよ。やつら、もんのスゴく速く走れます。ジャンプ力もスゴいし前腕のパンチも半端ない。おまけに表情が読めないでしょ。何を考えているかわからないわけ。ま、これはたいていの動物に当てはまりますけどね。
つまり人間って道具と策略(知恵)がなければ弱い動物なのよ。熊に襲われたらひとたまりもないのはもちろんですが、犬だって野犬化した群れに襲われたらまずアウトよね。食いちぎられて餌にされてしまいますわ。ちゃんとご飯をあげて孤立させているからわんこは大人しくしてくれてるわけです。身体能力が劣っているから人間が知性を得たのか、知性を得たから身体能力が劣ったのかはアテクシにはわかりませんねどね。
二、被告の不法行為
礼和三年十一月十五日、原告は本件チャンネルにて五歳の誕生日にちなんだライブ動画の配信を行った。被告はライブ配信中に性器を露出させ、原告の臀部にこすりつけるといった性行動をとった。同月十八日、MeTube運営事務局は、当該性行為をMeTube違反であると認定し、原告に通告した。これにより当該動画は削除されるとともに、本件チャンネルは三カ月にわたり凍結された。
新川帆立「動物裁判」
新川帆立先生の「動物裁判」はシリアスな小説ではございません。スラリと読める軽めのお作品です。主人公は弁護士の僕。舞台設定は多少SF的で、「全ての動物には生まれながらに命としての権利、命権がある」と認められています。哺乳類、は虫類などの種に分類するのは御法度で、すべての動物に人間と同様の権利が認められている。ペットは存在せず、飼い主は保護者で同居している動物は被保護動物です。
そういうわけですから動物が裁判を起こす権利もあります。動物の知能を伸ばす研究施設も発達していて、ある程度正確に動物とコミュニケーションを取れる世界だともあります。保護者(飼い主)同伴で裁判を行うわけですが、翻訳機を使った動物自身の発言や証言も認められているんですね。
僕は琴美というかわいらしい女性から弁護を依頼されます。めんどくさいので現代的文脈で書きますが、彼女が飼っているピグミーチンパンジーのボノボが訴えられたのです。訴えたのは飼い主の君彦とネコのココアちゃん。チンパンジーだけあってボノボは知性が発達していてネコのココアちゃんの気持ちを伝えられるんですね。
かわいいネコなのでココアちゃんのMeTube(YouTubeですけどね)は大人気でした。で、事件はココアちゃんの五歳の誕生日のライブ配信中に起こりました。ゲスト出演していたボノボが性器を露出させてココアちゃんのお尻にこすりつけたんですね。これによりココアちゃんのチャンネルは凍結され、それまで月500万円はあった広告収入が入らなくなったのでボノボと飼い主の琴美が訴えられたのでした。
「オウムを働かせすぎるのは虐待ですよ。オウムを働かせて、その金をあなたが使うなんて、やってないでしょうね」
老人はとっさに声が出ないらしい。怯えたように肩をすぼめて、首を横に振るだけだ。その間もオウムは「お疲れ、お疲れ」と言い続けている。
いつもの光景だ。最近はこういう小競り合いばかり起きている。
何が正解なのか、小競り合いの末に何が残るのか、誰にも分からない。けれどもぼくは、残ったものをきっと拾い上げて、時代の寵児になるのだ。
普段ならうんざりする光景が、なんとはなしにユーモラスに感じて、ぼくは頬をゆるめた。老人と中年男の言い合いを節に見立てて口笛を吹いた。妙にいい気分だった。
同
「動物裁判」という小説は、最近の平等主義のような風潮をバックグラウンドにしています。SNSなどの普及で誰もが簡単に声を上げることができるようになりました。その中でセンセーショナルに響く社会的な声が、これも情報化社会に対応しきれずに右往左往してネットにおもねるマスメディアに取り上げられ、さらに話題になったりします。しかし多くの人が「何が正解なのか、小競り合いの末に何が残るのか、誰にも分からない」と感じている。またとにかく話題(炎上)になれば注目を浴びることができ幸運なら短期間でも時代の寵児になれる時代ですから、それに乗っかろうという人も大勢います。
これはこれで面白いテーマです。現代の平等主義的風潮は誰が見たって危うい。「うんわかったわかった、キミの権利も認めてあげる、キミの意見も大切だよね」と八方美人的に愛想を振りまいているだけで済むほど世の中簡単ではありません。特にアメリカのように、民主主義とは異なる意見を持つ者同士が徹底して闘う(意見を戦わせる)というコンセンサスが薄い日本は危うい。要は自分に累が及ばない限り様子見しているだけ。そのうちバランスが崩れる可能性大です。
けどれも、女はバカだと思わないと、やってられないときがある。困っても泣きつけば誰かが助けてくれると死にて疑わないお気楽な女たち。汚れ仕事は誰かにやらせておいて、自分たちはアイドルだの俳優だのを追いかける。
君彦みたいな優男に女を取られるせいで、ぼくのところに回ってこないのだ。(中略)君彦なんて、MeTube猫の世話をしているにすぎない。ココアのマネージャー業としてココアの収益から給与を得ている可能生もあるが、つまり猫のヒモである。顔が良いってだけで猫のヒモがちやほやされて、真面目に弁護士をしているぼくは見向きもされないというのは、いかにもおかしい。
それもこれも、ぼくの仕事が軌道に乗っていないからだ。動物裁判の第一人者として大々的に取り立てられ、フォーブスだかプレジデントだかの表紙を飾るようになれば女の子に困ることもないはずだ。
同
で、短編のかるーい小説ですから、当然「動物裁判」は重い社会的風潮批判には向かいません。僕は人間相手の弁護では食えないので動物裁判をやっている。また何がなんでものし上がってやろうという野望を抱いています。平等の名の下にエゴ混じりの主張をしている人たちとあまり変わらないんですね。
裁判をしてゆくうちに、被告の琴美は原告の君彦の元カノだったことがわかります。そして僕は琴美に下心を抱いている。文字通りの下心ですね。そこに琴美が飼っているピグミーチンパンジーのボノボが絡んで来る。
ボノボは知能が高いのになぜココアに卑猥な行為をしたのか。それはお作品を読んでお楽しみください。ただま、ボノボは小学生低学年くらいの背丈ですが、人間がピグミーチンパンジーと闘えばそうとう鍛えてない限り大怪我しますわね。
佐藤知恵子
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