大衆小説時評を書いていると、小説は面白くなくてはいけないのか、という実に単純な疑問というかテーゼが浮かびますわね。アテクシの考えは当然面白くなくてはならないです。もちろん面白さにもいろんな種類があります。ただ最初の30ページくらい読んで「まだ150ページもあるのかぁ」と思ってしまうような小説はいかがなものかと思います。
日本人は真面目ですから、めっちゃむっちゃつまんない純文学小説を教養とか修行(?)のために読み通そうとするところがありますわね。でもそれはもう通用しないわね。そもそも文学がほぼ唯一の人間の情操教育ツールだった時代は終わりましたわよ。ゲームやドラマやマンガと同様に、どう煮っ転がしてもつまんない小説はつまんないの。「こんなつまんない小説を3日もかけて読み通したんだから私は偉い!」っていう、あまりにも人のいい文学尊重はもう止めた方がよろしいわね。
小説は物語ですから「で、どうなるの?」で読者にページをめくらせなければにっちもさっちもいきません。これは純文学でも大衆文学でも同じです。ダラダラ心理描写と風景描写が続く小説は近いうちに死滅するわよ。小説はまず事件。現実世界の事件だろうと心理的事件だろうと事件が起こらなければ読者がページをめくる原動力になりません。
鶴山裕司さんが評論集『夏目漱石論』で漱石先生が朝日新聞に入社して初めて連載した『虞美人草』が不評で、次の『三四郎』で文体を変えたと指摘しておられます。漱石先生、デビュー作『猫』から『虞美人草』まで写生文の文体で小説を書いておられました。写生文は正岡子規が創案した文体で、作者の視線が一点に固定されるワンシーンワンカットになりやすいんですね。実際『猫』は杓子定規なほどのワンシーンワンカット小説です。
しかしそれでは事件を起こしにくい。そのため漱石先生は『虞美人草』(最後の写生文小説)の失敗を踏まえて『三四郎』で文体を変えました。読者が毎日読む新聞連載小説では事件が起こらなければなりません。読者をドキドキハラハラさせなければ読んでもらえないのです。
でも言うまでもなく『三四郎』は純文学の古典。たいていの場合、読むのがとっても苦痛で面白くない純文学小説は駄作ですけど、面白い小説が純文学より一段下の大衆文学というわけではないということですわ。
控え目に言っても状況は最悪で、あまりにトチ狂っていた。
無論、闇の組織によって地下アジトへ拉致・監禁されているわけでも、突如として閑静な住宅街で銃撃戦が始まったわけでもない。
僕はいま、俗に言う〝リモート飲み会〟の真っ最中――上下スウェット姿で、有線イヤホンを両耳に突っ込み、時たま缶ビールやつまみへ手を伸ばしつつ、ローテーブルの前で胡座をかいている。傍から見れば「平々凡々」としか形容しようのない、いたって面白味に欠ける夏の夜の一幕と言うべきだろう。
〈いまからあいつを殺しに行く〉
だからこそ、画面に並ぶこの文字列が場違いに浮いて見えるのだ。
結城真一郎「三角奸計」
「三角奸計」の書き出しですが上手いですわねぇ。読者が「それで?」と先を読みたがること請け合いです。結城真一郎先生は新潮ミステリー大賞を受賞なさっていますから、お上手ねと言っても当たり前だろということになりそうですが。
主人公は僕(桐山)で、大学時代の友人茂木と宇治原と三人でリモート飲み会をしています。コロナを題材にしているわけですが主題というわけではありません。僕と茂木、宇治原は大学時代に散々バカをやった親友です。強烈な思い出が重なっているだけでなくお互いのことを知り尽くしている。ほぼまったく利害関係なく、しかも大人という年齢になって遊び回った大学の友だちはたいていそうですね。あうんの呼吸で相手がどう行動するのかわかってしまうところがあります。
茂木は既婚で子どももいますが宇治原と僕は独身です。宇治原には遠距離恋愛の彼女がいるのですが浮気しているようだと言い出します。しかも妻子が実家に帰って一人きりのはずの茂木の家にその彼女がいると言うのです。なぜわかったのかというと宇治原が彼女のスマホに居場所がわかるGPSアプリを仕込んだから。
宇治原はどちらかというとC調の大学生でしたがなぜか彼女に浮気されるという目に何度もあっています。大学時代に彼女と浮気相手がセックスしている現場に乗り込んで、殺してやるという騒ぎを起こしたこともありました。思い詰めると怖い男なんですね。その宇治原が自分の彼女と浮気している茂木を〈いまからあいつを殺しに行く〉と僕にダイレクトメールしてきた。僕は茂木に「あいつ(宇治原)はお前の家に来る! 絶対、扉を開けちゃダメだ!」と叫びます。だけどこの物語展開じゃ、小説冒頭で読者の興味を強烈に惹きつけた作家様の名がすたりますわね。
「ご承知の通り、俺はこいつの浮気を疑い、その事実を突き止めた。そして――」
履歴に残されていた電話番号から、相手がこの僕だということを知ったのだった。
「ショックだった・・・なんてもんじゃないよ」
自嘲気味に呟くと、宇治原は足元へと視線を落とす。横たわる彼女は、その気配を察してか「ひっ」と息を呑み、覚悟したように瞼を閉じた。
「だから、殺すことにする」
「は?」(中略)
「そこで問題になるのが、お前の処遇だ」
「僕の処遇?」どういう意味だ。
「正直、お前をどうすべきかは、いまも決めかねている」
なぜなら、と宇治原は静かに目を伏せた。
「その前に、確認する必要があるからだ」
「何を?」
「はたしてお前は、知っていたのか否か」
同
僕はマッチングアプリで知り合った女性と付き合っていました。肉体関係が生じた後に彼女は「実はわたし、もうすぐ結婚するんだよね」と言います。「やめておけ、これは地獄の一丁目だぞ。そう頭でわかっていたはずなのに、蓋を開けてみれば「むしろこの状況下でもなお涙を呑んで全軍撤退できる男が、この世に何人いるだろう?」と自己弁護し、居直ってみせる始末」とあります。魅力的女性なんですね。
宇治原は僕が彼の婚約者と浮気していることを突き止め、茂木を協力者にしてリモート飲み会を開き僕と彼女をハメたのでした。一種の推理小説ですから宇治原が茂木とどうやって僕と彼女をハメたのかは実際にお作品を読んでお楽しみください。ただ呑気なリモート飲み会が急転直下の修羅場になり、しかも「(彼女を)殺すことにする」とまで追い詰まってゆく展開はお見事ですわ。
――やがて訪れた静寂。
その中で、唯一僕の耳に聴こえてきたのは。
凜、と鳴る風鈴。
そして。
身震いするほどに抑揚のない、彼のこんなひとり言だった。
「やっぱり〝大切な話はリモートじゃなくて対面ですべき〟だな」
同
小説の結末ですが、本当にうんと褒めているのですが、アテクシ、思わず笑ってしまいましたわ。上質の落語を聞き終えたような爽やかさを感じました。これぞ大衆小説ですわね。題材はコロナ禍に取材していて物語展開はコロナとは関係ないわけですが、コロナという社会現象がキッチリ回収されています。お見事。
また「やっぱり〝大切な話はリモートじゃなくて対面ですべき〟だな」という言葉には有機先生の〝思想〟が込められていると思います。小説はフィクションですが、リアルを追求なさる作家様だということですわ。
佐藤知恵子
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