No.126『片山健の油彩画 濃密な記憶と懐かしい匂い』展
於・吉祥寺美術館
会期=2022/10/01~11/13
入館料300円[一般]
カタログ=1,300円
なるべく会期中に美術展時評を書くよう言われていたのだが、十一月末に出版する本の校正などで時間を取られ間際になってしまった。今回は吉祥寺美術館開催の『片山健の油彩画 濃密な記憶と懐かしい匂い』展である。吉祥寺美術館に行ったのは『生誕100年 南桂子展』以来だなぁ。しかし過去のコンテンツを調べたらこの展覧会については書いていなかった。素晴らしい展覧会だったのだが、うーむ、なぜだろう。自分でもよくわかりません、というか思い出せない。
南桂子展の時は展示点数が多く会場も広く感じられたが、今回はこぢんまりとした展覧会だった。ただ片山さんの比較的初期の油彩画をまとめて見ることができたのは幸せだった。『水蜜桃』の前で長い時間立ち止まってしまった。
『水蜜桃1』
昭和六十年(一九八五年) 油彩、カンヴァス 縦四四×横五〇センチ
絵だけを見せるというコンセプトなのだろう、図録も買ったが解説も絵に関するデータも非常に簡素だった。この作品は昭和六十年か六十一年(一九八五、六年)に上野のギャラリーで開かれた個展で見たことがある。値段も覚えている。欲しくてたまらず頭の中でいろいろお金のやりくりをしてみたのだが、どうやっても買えないなぁと諦めたのだった。高いと言えば高かったが、当時の僕は月給十五万ちょいのサラリーマンで生活するのでやっとだったから、絵を買おうと思うこと自体、無茶と言えば無茶だった。
ただ縁はあるもので、その後、銀座のある料理屋の座敷にこの絵が掛けられているのを見た。手放しておられないのなら、普段はまだその料理屋の座敷に飾ってあるのかもしれない。
絵の解釈は様々だ。特に片山さんの絵はそうだと思う。誰もがうねるような植物に生命力の強さを感じるだろう。一心不乱に水蜜桃にかぶりつく兄妹は真っ黒に日焼けしていて可愛らしい。兄妹の傍には水蜜桃にへばりつくクワガタも描かれているから、彼らもまた自然の一部だという解釈もできる。しかしそんな解釈はあまり意味がない。「ああいいねぇ」と見つめるだけで十分だ。
片山さんの絵は一昔前は詩人の間でよく知られていた。吉岡実さんが好んで詩集の装幀に使ったからだ。『サフラン摘み』『ポール・クレーの食卓』に片山さんの絵が使われている。吉岡さんが好んだのは片山さんの初期の鉛筆画だった。僕らは吉岡さんの詩集を見て片山健という画家を知ったのだった。
『美しい日々』連作より
昭和四十四年(一九六九年) 紙、鉛筆
現実にはありえない角度の便所(トイレではなくて便所ですな)にずらりと小便器が並び、真ん中に裸の少年が立っている鉛筆画は僕が持っている。昭和六十一年(一九八六年)の年末に吉岡さんから「年を越す金がないから片山健の絵を買わないか」という電話があり、「買います」と即答して譲り受けた。相変わらず貧乏サラリーマンだったから、格安の値段で譲ってもらったのだがこの絵で冬のボーナス全額が吹っ飛んだ。その後だいぶ長い間、カードキャッシングでしのぐことになった。
吉岡さんの「年を越す金がない」は半分本当で半分僕への好意だった。当時片山さんの鉛筆画集『美しい日々』が再刊されたばかりで(小便器に少年の絵は見開きで扉に印刷されている)、僕は片山さんの絵に夢中だった。まあいまだにそういう傾向があるが、素晴らしい美術家に出会うとまるで自分でその画家を発見したかのように夢中になってしまう。あまりにも僕が「片山健、片山健」と言うので吉岡さんが絵を譲ってくださったのだった。
約束の日にご自宅にうかがうと、吉岡さんは『美しい日々』に収録された鉛筆画三点を並べて「どれでも好きな絵を選びなさい」とおっしゃった。小便器に少年の絵がいいと言うと「これは僕が一番気に入っている絵だけど、まあいい、譲る」と言って、絵の裏に「最愛の片山健の絵を譲る」と書いてくださった。んーコイツ、遠慮というものを知らんのかと思われただろうが今でも感謝している。遠慮しなかったのは事実というかそんな余裕がなかった。本物の片山健の絵を目の前にして目が眩み、一直線に「これがいぃー」と言ってしまった。貧乏な詩人から貧乏な詩人に絵の所有が移っただけだけど。
『水蜜桃2』
昭和六十年(一九八五年) 油彩、カンヴァス 縦五九・五×横七一・七センチ
『水蜜桃2』も昭和六十年か六十一年に上野のギャラリーで見た。吉岡さんの家に片山さんの油絵の子どもの絵の小品があったので、片山さんが繊細な鉛筆細密画から、色彩鮮やかで荒っぽいとも言えるタッチの油彩画家に変貌したことは知っていた。ただ片山さんの油絵をまとめて見たのは『水蜜桃展』(確かそういうタイトルの個展だったと思う)が初めてだった。画集『美しい日々』を宝物のように抱えて誰かれとなく「片山健の絵はいいんだ」と吹聴して回っていた者にはちょっとショックだった。
しかし個展会場で片山さんの油絵を見てホッとしてもいた。『美しい日々』のような研ぎ澄まされ、ギリギリと狭い世界に閉じ籠もるような細密画を描き続けるのは苦しいだろう。変貌の理由はわからないが、片山さんがモノクロームの鉛筆細密画の世界から解き放たれ生命力溢れる油絵を描き始めたことに安堵のようなものを感じた。すぐに新しい片山健の絵の世界に慣れた。
ご自身の画業だから全否定なさることはないとは思うが、多くの詩人たちの目を惹きつけた初期鉛筆画は片山さんにとってはいわゆる〝前作〟に当たるのではなかろうか。また画風は大きく変わったように見えるが片山さんの絵の本質は普遍だと思う。
陳腐な言い方になってしまうが、鉛筆細密画の時代から片山さんの絵にはエロスとタナトスの表現があった。それは油絵時代になっても変わっていない。絵には余白がない。びっしりと人や動植物、建物などが描き込まれている。人と物と動植物が繁茂する世界だ。遠近法は使っていないが絵には独特の奥行きがある。カンヴァスの奥の方から湧き出して来るような絵画世界だ。子どもが多く現れるのもそのせいだろう。世界創出の始まりには必ず子どもがいるはずだ。彼らは可愛らしく身勝手で暴力的で、かつ、旺盛な生命力の塊だ。その一方で死にとても近しい存在である。
『夜の庭』
昭和六十四年、平成元年(一九八九年) 油彩、カンヴァス 縦一一二×横一四五センチ
片山さんには一度だけお会いしたことがある。吉岡さんに絵を譲っていただいた頃だから一九八六、七年のことで、当時大学仲間と刊行していた同人誌「洗濯船」で「ポルノグラフィ的思考」という特集を組んだのだった。
話はわき道に逸れるが、この雑誌を刊行していたのは僕の一二を争う黒歴史で、当時の同人誌仲間とは今では音信不通だ。ピヨピヨの文学者たちが大人になって仲違いしたり疎遠になるのはよくあることである。ただこの同人誌を僕が毛嫌いするのはそれだけではない。
戦後の詩の同人誌には商業雑誌への踏み台という側面が抜き難くあった。そんな歴史はすぐわかったから、僕は「洗濯船」という雑誌を独自メディアにしたかった。自由詩が先細りになるのは目に見えていたからだ。しかし僕に賛同してくれる同人はいなかった。メディアからお声がかかると尻尾を振って靡いていった。
それはまあいいだろう。多くの詩人がそんな道をたどったのだから。本質的問題はじゃあメディアで大活躍して優れた仕事ができたのかということだ。もちろんできていない。戦後の詩人ほどにもできていない。「詩友」などといった言葉を振りかざして仲間内で気色の悪い誉め合いを繰り返し、吉岡実や永田耕衣やエズラ・パウンド、吉増剛造、田村隆一、澁澤龍彦など自分より偉い文学者にひっついてなんとなーく業界利権を漁る浅ましい業界ゴロ詩人になっていっただけだ。僕の知っている吉岡や耕衣、田村隆一は悪魔と呼べるほど文学に対して厳しかった。あまりにもくだらない、あまりにも志が低い。
加えて「洗濯船」という雑誌が終刊してから(レベルの低さに苛立って僕が実質的にこの雑誌を終わらせた)、共通理念などなく、ある時期にたまたま明治大学に在籍したという理由だけで刊行されていたこの雑誌を自演乙でいわく言い難い素晴らしい雑誌のように未必の故意で吹聴する同人まで現れた。しかも僕はこの雑誌に参加していなかった、存在していなかったということになるらしい。
ハミ子になるのは慣れているが、苛立たしいのはやはりレベルの低さ、志の低さだ。考えが違って疎遠になったとしても、過去まで自分の都合のいいように変えてしまう愚かで狭量な文学者がいただろうか。あまりにも頭にきたので『詩誌「洗濯船」の個人的研究』という小冊子を一週間ほどで書き飛ばして出版した。
思い出すとまた腹が立ってきたが、まあそれは一過性のものである。実は『詩誌「洗濯船」の個人的研究』を書いて自分なりに過去を総括して気が済んだ。今ではまず「洗濯船」という雑誌や当時の同人のことを思い出すことがない。モノカキにとっては書くのが浄化なんですなぁ。ただ面白いことにこの冊子に対する反響はけっこうあった。
辻原登大先生は「あーよくわかるよー」とおっしゃり、藤富保男さんからは「あなたがたの関係性がよーくわかりました」というハガキをいただいたりした。若い頃同人誌をやったことのある文学者には、身につまされるが見慣れた光景ということだろう。今でいうディスることを書いたかもしれないが、当時の同人はそんなの自分のことじゃないと言うだろうから、自演乙も業界ゴロ活動も「コンプライアンス的には問題ありません」で〆たい。批評を書いてもすぐに「ディスられた」と来るご時世だから、これから批評・批判を書くときはヒコロヒー姉さん流でいきたいと思います、はい。
『夜の庭』
昭和六十四年、平成元年(一九八九年) 油彩、カンヴァス 縦一一二×横一四五センチ
本題に戻ると僕は同人詩誌「洗濯船」特集「ポルノグラフィ的思考」で片山さんにインタビューさせていただいた。この体験は強烈だった。小説家や詩人には接していたがプロの画家に会ってお話をする(聞く)のは初めてだった。いやというほど画家という存在について思い知らされた。
片山さんに「嫌いなものはなんですか?」と質問すると、「答えられるわけがない。あなたの質問で嫌いなものが今頭に浮かんで来て不愉快でしょうがない」という答えが返ってきた。また子どもの頃片山さんの家の壁には名画カレンダーが掛けられていてボッティチェッリの絵の月があった、ボッティチェッリの絵は人物の視線が決して交わらないのだけど、それをじっと見ているうちに絵というものがどういうものなのかわかったんだとおっしゃった。「どうわかったんですか?」と質問すると「そんなこと、答えられるわけがない」というお返事だった。
吉祥寺駅近くの喫茶店で小一時間ほど話している間中、僕は困惑していた。文学者とはまったく種類の違う表現者を目の前にしていた。強烈な存在感だった。ただあの小一時間ほどの会話は僕に大きな影響を与えた。非常に魅力的な表現に出会いそれを理解したいと思うのだがうまくいかない時、人は手持ちの札を捨てて新しい切り口、新しい方向からその表現を見つめなければならない。作家は絶対に自分の手持ち札にこだわってはいけない。片山さんは僕に画家という未知の存在を教えてくださった。とても感謝している。生粋の画家であり純な画家である。この画家が描く絵が魅力を放たないわけがない。
『雲の中』
平成十三年(二〇〇一年) 油彩、カンヴァス 縦五九×横七一センチ
『雲の中』は比較的最近の作品で雲の中で子どもたちが暴れている。動物やカエルのようなものも描かれている。この子どもたちは荒ぶる神々で、絵には一種の宗教画の雰囲気がある。片山さんの子どもの絵は本当に魅力的だ。一番画風が近い画家はゴッホかもしれない。
あまり過去を振り返らないのだが、展覧会場でほぼ四十年ぶりに『水蜜桃』を見てつい昔のことまで書いてしまった。まあ四十年は長い。吉岡さんは逝去され、片山健さんの奥様で優れた詩人で童話作家だった片山令子さんもお亡くなりになってしまった。口惜しいことだ。一度もお会いする機会はなかったが片山令子さんの詩集『夏のかんむり』は一時期よく手に取って読んだ。
片山さんとはほんの一瞬袖触れ合っただけである。僕のことなど覚えておられないだろう。しかし一方通行の恋心のようなものだが片山健という画家とその絵に僕は強い思い入れがある。
鶴山裕司
(2022 / 11 /09 13枚)
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