今号では「特集 31年目の穂村弘『シンジケート』論」が組まれています。穂村さんの第一歌集『シンジケート』が刊行されてからもう31年も経つんですね。ただその影響はいまだ色あせていません。少なくとも『シンジケート』上梓以降――平成二年(一九九〇年)以降に歌を始めた多くの若手歌人がその影響を受けています。圧倒的影響を歌壇にもたらした歌集です。
二〇二一年、穂村弘『シンジケート』が現代短歌の古典として新装版でよみがえる。実に喜ばしいことだが、私にはひそかな痛みが走る。
私の持っている初版本『シンジケート』は穂村弘からいただいた二冊目だ。扉に一九九二年八月十二日の著者のサインが入っている。最初にいただいた本は、彼に歌を批判されて癇癪を起こした挙げ句破ってしまい、図々しくももう一冊いただいたのだ。ごめんなさい。私は最低だ。だが、痛みというのはそのことではない。(中略)
私は穂村弘にはもっともっと凄いものが書けると思っていたのだ。世界をひっくり返すような、宇宙を凍らせるような。おそらくは目の前にあるのがその凄いものであったことも知らずに。
水原紫苑「私だけがわからなかった『シンジケート』」
おおむね『シンジケート』絶賛の文章が並ぶ中で水原紫苑さんの『シンジケート』論は異質です。もちろん一種の書評特集であり書評の絶対前提は誉めるのが不文律であるのをわきまえておられるベテラン作家です。ですから「私だけがわからなかった」というスタートは今はわかるという地点に着地します。微妙に着地すると言ってもいいですね。
ただ良い悪いの問題ではなく水原さんの姿勢は作家にとっては一つのあり得べきものだとも言えます。作家が独自の創作者で新たな自己表現を求め続ける限りそう簡単に他者の作品に手放しの賛辞を送ることはできない。大袈裟に言えばそれは自己作品の敗北であり屈辱の事態です。しかしもちろん批判のための批判では意味がない。
批判の焦点は「私は穂村弘にはもっともっと凄いものが書けると思っていたのだ」にあります。その後の『シンジケート』の影響力の凄まじさから帰納して水原さんは「短歌のパラダイムを変えた言葉と言葉の結びつきは独創的で新しいが、短歌にしかない鮮烈が叙情が流れている」とその素晴らしさを肯います。ただ全面肯定ではない。「あの時に戻ったら、私にもわかるだろうか。それとも私はもう一度ノーと言うだろうか。自分に問いかけると苦しい」と続きます。
「もっともっと凄いものが書ける」はずだという批評は言うまでもなく水原さん自身の創作に跳ね返って来ます。最近の水原さんの異様に構えの大きな短歌がそれを示唆しているでしょうね。そうでなければ本質的な作家同士の友愛は生じない。
水原さんの批評は「とりあえずおめでとう。この本が一人でも多くの孤独な魂に届くように」で終わります。「とりあえず」はもう説明の必要がないですね。ただ最終的な『シンジケート』絶賛留保は「一人でも多くの孤独な魂に届くように」で表現されているように感じます。ある意味水原さんは男性的です。性別女性か男性かとは関わりなく男性性の強い短歌作家だと言えるかもしれません。
さて『シンジケート』論とバランスを取るように今号には渡辺祐真さんの「俵万智の全歌集を「徹底的」に読む」が掲載されています。短歌研究誌ならではの長い作家論の一挙掲載です。内容は実際に当該誌をお読みになっていただければと思いますが処女歌集から最近の歌集までを時系列的に論じておられます。
午後四時に八百屋の前で献立を考えているような幸せ
やみくもに我を愛する人もいて似ても似つかぬ我を愛する
そら豆が音符のように散らばって慰められている台所
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
ワイシャツをぱぱんと伸ばし干しおれは心ま白く陽に透けてゆく
コンタクトレンズはずしてまばたけばたった一人の万智ちゃんになる
俵万智『サラダ記念日』一九八七年(~24歳)
周知のように『サラダ記念日』は大ベストセラーになったわけですがその理由はいくつも考えられます。口語で読みやすかったことがありますね。実際『サラダ記念日』以降に口語短歌全盛時代がやってきます。さらに大きな要因に生の肯定をあげられると思います。短歌はずっと個の軋みを表現してきた芸術です。苦の絶唱が名歌となることが多かったのです。しかし『サラダ記念日』にはそういった息苦しさが一切ない。伸び伸びとした生の肯定があります。それが若い女性歌人の恋愛歌ともあいまって絶大な支持を集めたと言えそうです。短歌が技法面でも内容面でも新しい表現を見出した瞬間でした。ではその後の俵さんはどういう歩みをなしたのか。
都合悪きことのなければ詳細に報じられてゆく隣国の事故
制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている
最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て
動詞から名詞になれば嘘くさく癒しとか気づきとか学びとか
生き生きと息子は短歌を詠んでおりたとえおかんが俵万智でも
発芽したアボカド土に植える午後 したかったことの一つと思う
俵万智『未来のサイズ』二〇二〇年(50~57歳)
「都合悪きことのなければ」は韓国のセウォル号沈没事故を詠んだ歌です。では積極的な社会批判の歌が増えたのかというとそうではない。歌人の日常から発せられた歌です。近作の『未来のサイズ』のテーマは子育てにあります。生の肯定も健在です。「制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている」の表題歌にそれが表現されているのはもちろん子どもの未来選択の自由さが「生き生きと息子は短歌を詠んでおりたとえおかんが俵万智でも」で表現されている。
また俵さんは口語短歌を定着させた功労者ですが歌の骨格としてもはや口語か文語かにこだわっていません。それは百人一首などへの最近の興味にも現れています。文語的表現がふさわしければ躊躇なくそれを使う。最初から口語と文語の対立という思考はこの歌人にはなかったように思われます。
こういったズルリとした横滑りが俵万智口語短歌から穂村弘ニューウエーブ短歌へと新たな敷居を生んだのは言うまでもありません。しかし両者にそういった大きな断絶のような区分があるのかと言えばそうとは言えないように思います。
男性歌人は良くも悪くも観念的です。一つの新たな観念的表現形式をつかむとそこにとらわれがちになる。塚本邦雄を始めとした前衛短歌の時代の様式美はその近過去の遺産です。しかし女性歌人――というより表現において女性性を援用すれば変化はたやすくなる面があります。
恐らくですが穂村さんは俵万智さんと同様に無理なく歌を変化させてゆくでしょうね。過去の実績を継承したまま無理なく老いてゆきそれを歌で表現してゆくと思います。〝最初の人〟にはそれが可能です。肉体的確信に支えられた表現だからです。穂村さんから始まるニューウエーブ短歌には内部分裂が起きていて男性的観念性と女性性に基づく表現とにゆるやかに分離し始めているようにも感じます。
高嶋秋穂
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