一.デヴィッド・シルビアン
集中して作業をする時、出来れば音楽はかかっていてほしい。そんなに贅沢な願いではないはずだが、じゃあ何でもいいのかと問われると、ソレとコレとは別問題。まず日本語で歌われているのは困る。どうしても意識が持っていかれるし、頭の中に歌詞がグイグイと浸透してくる。じゃあ他の言語なら大丈夫かというと、そうでもなく、なるべく御遠慮願いたい。コーランとか聖歌とか読経だとあまり気にならないのだけど、それは言語ではなく音色として捉えやすいからかもしれない。歌詞アリがダメなら頼みの綱はインストになるが、これにも少し条件がつく。まずやかましいのはダメ。そして旋律が単純なのもダメ。意識とか頭ではなく、身体が反応してしまうからダメ。となると模範解答はクラシック。まあでも、それをいっちゃあオシマイよ。はい、却下。ならば逆側、つまり経験値から導くと個人的定番はキース・ジャレットの「完全即興ピアノソロコンサート」シリーズ。特にローザンヌ盤(’73)にはよく手を伸ばす。壁に当たったらローザンヌ、という本末転倒な瞬間も多々ある。ただ1時間を越すライブ盤なので、御紹介するのは少々難しい。ということで、最近よくお世話になるのは「エレクトロニカ」「アンビエント」「ドローン」、この辺りの括りとなるモノが多い。大量のカタカナに気圧され「俺メカに弱いから」と及び腰だけど、集中したい時に頼れるのも事実。最近のお気に入りは元ジャパンのデヴィッド・シルビアンとドイツの電子音楽家、シュテファン・マチューによる『ワンダーミューデ』(’13)。途切れない残響音の重ね塗りの中、入口も出口も境界線もゆっくりと溶けて曖昧になっていく。「聴く」のではなく「包まれる」感触が、集中する為には最適。もちろん文学的に「聴く」余地は果てしなく広がっていて、当て所ない思索に耽る時にもお勧め。今? もちろん聴いています。斯くの如く、集中させて頂いておりますです。
集中する為に、わざわざ外出して酒を呑むことはない。でも物事を考えやすい店というのは確実に在って、とっ散らかっている頭の中を整理したい時など、わざわざそっち方面へ寄っていくことはある。たとえば創業半世紀以上の老舗、八広の居酒屋「M」。くの字のカウンターに席を取り、下町ハイボールをオーダーして、流れるテレビの音を聞きながら、ポテトサラダかニラ卵焼きかで贅沢に迷う。両方とも絶品の250円。ひとりならもちろん静かだが、他に客がいてもあまり変わらず、女将さんと常連さんが話していても気にはならない。それより外を走る車の音の方がうるさく感じたりもする。ここで小一時間、頭の中の整頓を済ましたら、真っ直ぐ家に帰って残りの仕事を……したいもんです。ここ鐘ヶ淵通り沿いには好みの呑み屋が数軒。誘惑に勝てる自信はまだない。
【 Dark Pastoral/ David Sylvian & Stephan Mathieu 】
二.矢沢永吉
必要なのは集中を促す音楽だけではない。根を詰めた後は、それをリラックスさせることも大事。元々そっちの目的で聴くことが殆どなので、ネタには事欠かない。最近多いのは矢沢永吉。昔の自分に教えてあげたい。「お前は将来、ストーンズのみならずヤザワの音楽を好んで聴くようになる」と。驚くだろうな、当時の私。熱を出すかもしれない。でもまあ、それも仕方ない。あのソフトな歌声とレパートリーの大半を占めるミディアムな曲調は、キャロル時代のラフなロックを期待する耳にはフィットしない。七十代に突入した現在でも、彼の声の艶っぽさに衰えは見られないが、やはり三十歳前後の歌声には独特の雰囲気がある。奥に見え隠れする激情の為せる業、なんて簡単に言い尽くせない何か。そういえば耳にフィットしなかった時も、彼のベストセラー「成りあがり」(’78)は愛読していた。イメージを裏切る冷徹さが痛快で、今もすぐ読める場所に置いてある。
物を考えるのに向いている呑み屋があるなら、その逆だって。そんな風に考え始めると案外難しい。物を考えなくていい呑み屋って、あまりにも普通すぎる。ただ「さあ呑むぞ」と気持ちをスタートラインにセットしてくれる、所謂0次会向けの店なら何軒か思い浮かぶ。ここ最近ぴったりだったのは、新橋に数軒構える居酒屋「H」のその名も「0号店」。路上に並べられたテーブルで風に吹かれながら、「西成」の名を冠したホルモンを肴に酎ハイを流しこむ。これこれ、最高なヤツ。時間帯によっては肴も酒も税込199円。長居は無用と二十分弱で次の店へ。
【 YES MY LOVE~THIS IS A SONG FOR COCA-COLA / 矢沢永吉】
三.サラ・ヴォーン
創業八十年以上の王子の老舗、居酒屋「Y」が先月いっぱいで一年半の休業に入った。理由は建物の老朽化/建て替え。知ったのは最終日曜の夜。朝八時から開いている店なのでチャンスは二日ある。ただ最終日はいくら朝でも混雑する可能性大。熟考の末、月曜の朝、つまり数時間後の訪問を決定。実は早めに片付けたい仕事があった。でも背に腹は変えられない。閉店ではないにしても、一年半はちと長過ぎる。こんな時のために、集中力を高める音楽があるんじゃないか。そんなこんなでいざ王子。十時少し前に到着すると、もう長机は埋まっていて何とか一番端っこに。レジの近くのアタリ席。オヤジさんの独り言や店の静寂、そして帰り際の客の一声を聞きながらチューハイを。あまりイマ風の店にしないでよ、という声に思わず頷いた。
頭の中にずっと流れていたのは、サラ・ヴォーン版の「バードランドの子守唄」。ジャズに興味のない小学生の頃、なぜかレンタルしたオムニバス盤に収録されていて、この曲だけ何度も聴き返していた。ちょっとベタかなとも思うが、圧倒的なサラの歌声がすべて許してくれる。タイトルの「バードランド」はNYのジャズ・クラブの名前。なんだ、こんな日にぴったりなのか、と納得してチューハイの「中」を頂く。一年半後、またお会いしましょう。オヤジさん、お元気で!
【 Lullaby of Birdland / Sarah Vaughan 】
寅間心閑
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