大島真寿美先生のお作品は、第一六一回直木賞受賞作の『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』を読ませていただいたのですが、正直ちょっととっつきにくい感じはありました。主人公は近松半二で江戸後期の歌舞伎全盛期、ということは人形浄瑠璃衰退期の浄瑠璃台本作者です。近松と言えば門左衛門だろうという感じになるのは自然でして、まあなぜわざわざマイナーな実在の人物を主人公にしたのかな、と思わないことはなかったでござんす。時代小説は信長秀吉家康が定番中の定番の安全パイの世界ですからね。なんらかの形でこの三巨頭に繋がりのある武士や町人を主人公にすれば、うんと時代小説は書きやすくなります。
また『渦』には半二の創作上の苦労話が多くて、これがちょいと感情移入し難かった。作家を主人公にすれば当然出てくる描写なのですが、まあ頭の中の戦いですからあまり面白くはなりませんね。
ちょいと否定的なことを書いてしまいましたが、それでも読み続けていると、なんだか大島先生の意図がわかってくるようなところがあります。特に今回掲載された「妹背山婦女庭訓 波模様」はスッと読めて理解もしやすいところがござんす。『渦』のスピンオフと言いますか、そこからの新たな展開なのですが、なんだか肩の力が抜けたような。これは読者がつくお作品でございますね。
「耳鳥斎先生、いてはりますか」
余七が松屋にやってきても平三郎は追い返さない。嬉々として招き入れる。息抜きにちょうどよいのである。
余七の不幸は半分、いや、それ以上に自業自得と思われる節があるゆえ、付き合う輩も減る一方らしく、近頃、いっそう頻繁に松屋へあらわれるようになった。
余七は、平三郎に絵を習いにきている。(中略)
という名目で通ってきてはいるものの、ほんとうのほんとうは金の無心にきている。毎度口車に乗せられ、いくらか持っていかれるのでその企みを疑う余地もないが、絵を教えろというからまずは教えてやる。すると存外楽しそうに書いている。いつまでも描いている。(中略)やけにうまい。
大島真寿美「月かさね」
「月かさね」の主人公は耳鳥斎です。大坂の戯作者兼絵師として知られています。とぼけた絵を描いたので、最近ではかわいい絵ともてはやされたりもしています。ただ画本はありますが、単独の戯作はあったかな。学者でないのでよくわかりません。
今の目には単にとぼけたかわいい絵に写りますし、耳鳥斎も戯画を描いているという意識はあったでしょうが、彼は自分の絵を『鳥獣人物戯画』に通じる鳥羽絵と称していました。知識人が描く文人画の一種ですね。その人生の詳細はわかりませんが、かなり裕福な町人だったろうと推測されています。読本などの挿絵はないはずなので、プロの画家ではなく趣味の高等遊民だったのでしょう。にも関わらず江戸後期の大坂で耳鳥斎の絵の人気が高かったのは、彼の絵が洗練され完成度の高いものだったことを示しています。
その耳鳥斎の元に余七という、食い詰めた遊民が遊びに来る。絵を習いに来るのですが、本当の目的は金の無心です。耳鳥斎は追い返しもせずむしろ余七を歓待します。耳鳥斎は義太夫好きだったことが知られていますが、余七は浄瑠璃作家で、だけど剣呑な性格が禍して座元と喧嘩別れして食い詰めてしまったのです。そういった遊民文人を歓待して援助するのは、耳鳥斎のような裕福な商人にはあり得る話です。
では物語が耳鳥斎と余七の交流中心に進むのかと言いますと、そうではありません。網目のように物語が広がってゆきます。
「そやけど、いわれてみれば、なるほど、そうやったかもしれへんな。柳を手伝うてたんは近松加作やったんかもしれん。柳がここで書いてるの、みしてもろうたり、手伝うたりしてるとき、よう父さんのこと、思い出してたわ。亡うなる前の、父さんや。身体壊してから、うち、父さん、手伝うてたからなあ」
「半二はんか」
「そや。亡うなってもう丸八年になるわ。きょうびは近松半二、いう名もきかんよう、なったな。みんな忘れていくんやな。うちもそや。(中略)父さんな、死にかけても書いてはったわ。やめさせんと、命縮めてしまう。わかってんのに、止められへん。(中略)うちも鬼やけど、父さんも鬼やった。(中略)柳も、鬼になってたわ。最後のほう、ろくに寝てへんかったで。(中略)まさか、柳があないになるとは思わへんかった」
「あんたがついてたからやろ。あんたが柳を鬼にしたんやで」
「そやろか」
「そや」
おきみは少し首を傾けた。そうして、つぶやいた。
「わるいことしたな」
うっかり笑ってしまう。
同
耳鳥斎は『渦』の主人公、近松半二と交流があり、その娘のおきみとも懇意にしています。おきみは半二晩年にその仕事を手伝ったこともあり、浄瑠璃台本の作り方に精通しています。史実は別として、耳鳥斎は半二の後を継いでおきみが浄瑠璃作者として立つことを期待していたのです。しかしどんなに口説いてもおきみは耳鳥斎の熱心な勧めをやんわり断ります。しかしそれは言葉通りではありません。
おきみは自分が住む料理屋兼宿屋に近松柳(実在の浄瑠璃台本作者)を逗留させ、浄瑠璃台本を書かせます。積極的に筆を走らせるわけではありませんが、柳が書き悩むとアイディアを出して助けるのです。一種のゴーストライターですね。この時代、女が浄瑠璃作者として立つのが難しかったということもあるでしょうが、小説的には実質的に浄瑠璃作家でありながら、いつもすっとぼけて何もしていないと言い張るおきみが負の焦点となって作品に奥行きを与えています。
おきみは耳鳥斎とは別の、この小説の影の主人公です。その心意気は「きょうびは近松半二、いう名もきかんよう、なったな。みんな忘れていくんやな」という言葉によく表れています。これは言うまでもなく反語です。おきみは父のことを一時も忘れていない。その志を継ごうとしています。また作者大島先生の思想が最も反映されているのがおきみという女性です。先生の歴史の中に忘却されようとしている人々を現代に蘇らせようという意図が窺い知れます。
この黄表紙の作者は十遍斎一九。
十遍斎一九とは、江戸にいった、あの余七のことである。
余七はあれから、江戸で読本の作者となった。
すでにいくつかの本を世に出して、どれも、まあまあ売れているそうで、とりわけ、この、出たばかりの、化物年中行状記は人気なのだそうだ。おかげで江戸でどうにか暮らしていけるようになったと、手応えをつかんだらしい余七は、じつに意気軒昂なのだった。この勢いに乗って、これから先もまだまだ本を出していくつもりらしい。
というようなことを平三郎(耳鳥斎)は、この黄表紙とともに送られてきた文で知ったばかりだった。
あのとき貸してやった路銀についての礼もくどくど述べてあったが、だからといって返す気がなさそうなところも、いかにも余七らしい。
同
小説は冒頭に戻って、大坂で食い詰めた余七の江戸での始末で終わります。余七は江戸で雅号十遍斎一九となり、頭角を現したのです。江戸の知識人社会は狭いですから、お作品を読むとそんなこともありそうだなという気がしてきます。
こういったリゾーム状に物語が拡がる小説はたのしゅうござんすね。フィクションで肉付けされた鷗外史伝を読んでいるような心地よさがあります。
佐藤知恵子
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