メトロノームの正確なカウントと、それに頼らない不正確で生々しいカウント。人それぞれ好みはあるだろうが、思いがけない「豊かさ」や「あやしさ」や「ルール」に出くわす確率が高いのは後者。個性、なんてつまらない言葉で一括りにされがちなそれらは、フィットすれば一生楽しめる。フィットしなかったら? どうだったっけなあ、と忘れられるだけ。
谷川賢作と原田節のユニット「孤独の発明」のセカンド・アルバム『永遠にやって来ない女性』は、「豊かさ」と「あやしさ」を内包し、全17曲57分を聴き終えた時にしっかりと「ルール」を感じ取れるアルバムだ。
室生犀星、立原道造ら詩人の詩に曲をつける、という最大の特徴は「ルール」ではなく「コンセプト」だが、そのコンセプトの存在は、我々リスナー一人一人がそれぞれ感じる「ルール」に大きな影響を与えている。
谷川の別ユニット「DiVa」のアルバム『よしなしうた』のレビューでも触れたが、歌われるつもりのない詩は、所謂「ポップ・ソング」にはなりづらく、もっと自由であやしい形に発展する可能性を秘めている。
逆側から眺めた方が分かりやすいかもしれない。私が感じた本アルバムの「ルール」から逸脱している曲は二曲。
六曲目「夢見るシャンソン人形」は、オリジナルのフランス・ギャル盤(‘65)が余りにも有名な世界的な大ヒット曲。
十七曲目「生きとし生けるものはみな」は、谷川がプロデュースしたクミコのアルバム『愛の讃歌』(‘02)の収録曲。
両曲とも「ポップ・ソング」として高次元で成立しているが故、本アルバムの中では「異端/アクセント」として機能してしまう。ちなみに配置する順番も「正解」と称したくなるほど素晴らしい。
詩人の詩を取り上げているが、本アルバムに収められているのはポエトリー・リーディングではなく音楽。そのため、言葉の持つ方向性が絶対ではない。旋律や音色によって方向性は変化もするし、意味そのものが変わってくる可能性もある。
その醍醐味を感じやすいのは、十曲目「組曲 さふらん」だろうか。タイトルの通り、立原道造による十二篇の詩が連なる七分間の組曲形式。言葉の方向性を贅沢に変化させる手腕が、たっぷりと堪能できる。
まだ「聴き込んでいる」と言える状態ではないが、現時点で本アルバムはフィットする可能性が高い。
誤解を承知で比べるなら、80年代に日本のインディーズ・ブームを牽引したレーベル「ナゴムレコード」。あの作品群が持っていた「あやしさ」と似た耳触りを感じる瞬間が、本アルバムでは多々訪れる。
主宰者が、劇作家を筆頭に様々な顔を持つケラリーノ・サンドロヴィッチということから想像できるように、「ナゴムレコード」の作品は、「非ロック的」かつ「演劇的」な耳触りのあやしい作品が多かった。あの一世を風靡したバンド「たま」も所属していた、といえば何となくイメージできるだろうか。
本アルバムにおいて、構成音の少なさが生み出す「間」を立体的に感じさせるアレンジの妙と、既存の詩に当てはめるからこそ、より演劇的に響く歌声のギャップは、替えの効かない「あやしさ」を醸し出している。
寅間心閑
■ 孤独の発明(原田節&谷川賢作)2nd CD「永遠にやつて来ない女性」PV ■
■ DUOユニット 孤独の発明 CD『永遠にやって来ない女性』 ■
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